2011年 09月 22日
Bach - Reger: Sonatas & Partitas@Sayaka Shoji |
MIRAREの春の新譜で庄司紗矢香のバッハとレーガーの無伴奏だ。ラ・フォル・ジュルネにおける露出が増えたなぁ・・、と思っていた矢先、MIRAREの社長=ルネ・マルタンが例によって惚れ込んで録音に至ったという芸人レンタル・シリーズだ。庄司は16歳という若さでパガニーニ国際で最年少ウィナーとなった才媛であり、今やDG(UNIVERSAL)の看板売れっ子アーティストなのだ。尚、このCDは直輸入盤ではあるが、例外的に日本語訳ライナーが付属しているので英語/フランス語が不得意な人でも安心だ。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3977478
Bach & Reger: Sonatas & Partitas
CD1:
Max Reger: Prelude & Fugues, Op.117 No.2
J.S. Bach: Sonata for solo violin No.1 in G minor, BWV1001
Max Reger: Prelude & Fugues, Op. 117 No.1
J.S. Bach: Partita for solo violin No.1 in B minor, BWV1002
CD2:
Max Reger: Chaconne in G minor for Solo Violin, Op.117 No.4
J.S. Bach: Partita for solo violin No.2 in D minor, BWV1004
Sayaka Shoji (Vn)
CD1:
・レーガー: 前奏曲とフーガ ト短調Op.117-2
・J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調BWV1001
・レーガー: 前奏曲とフーガ ロ短調Op.117-1
・J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調BWV1002
CD2:
・レーガー: シャコンヌ ト短調Op.117-4
・J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004
庄司紗矢香(ヴァイオリン)
庄司紗矢香はデビュー直後、リサイタルで何度か聴いたことがある。その庄司ももう20歳代後半だという。専属するDGから何枚かCDが出てはいるが買ったことはなかった。それがなんとMIRAREから、しかもレーガーとバッハなのだという。評判はとても良く、では、ということで遅ればせながら買ってみた。
レーガーは日本においても、またフランスにおいても割と過小評価されていて演奏機会は少ないように思われる。彼は20世紀を代表するドイツの近現代作家の一人であり、その作風はとても斬新でありながらバッハを規範とする厳格な形式主義者でもあった。レーガーはオペラや交響曲は書かず、また管弦楽曲も多くは書いていない。その代わり夥しい数のオルガン曲を残しており、これはまさにバッハへの並々ならぬ傾倒を裏付ける側面であると同時に、幼少期から優れたオルガニストとして名を馳せていた結果と思われる。彼自身、生きた時代における「現代のバッハ」を目指していた節もあり、それは若くして心筋梗塞で急逝したのがライプツィッヒであったこととなんとはなく符合するのである。
このアルバムはそういったドイツ近現代における不世出の作家=レーガーの代表作品・・・恐らくその殆どがバッハへのオマージュであるが・・・と、当のバッハの不朽の名作であるソナタ&パルティータ全6曲の中から3つを選んで交互に並べたというテーマ・アルバムである。バッハに纏わる同様の趣向のアルバムとしては、昨今ではグリモーのこれが記憶に残る。
Op.117は、レーガーがバッハ及びブラームス、リストらからインスパイアされたというロマン派的和声と旋律進行は極度のデフォルメと前衛性とによって限りなく調性を失おうとしている状態なのだが、旋律というか、コントラプンクトゥス(=カウンターポイント:対位法)自体はバッハのオルガン曲(BWV500番台)と殆ど同じ展開であり、レーガーのこれらはBWV500番台のトランスクリプション集だと言われても何も疑わないだろう。調性の方は無調性や12音技法、トーンクラスタと言うよりは超調性とでも言うべき超越した拡張的な離散和音から成り立っているようで得も言われぬ独特の不安定さ・浮遊感といった気分を現出している。
かたや、バッハのBWV1001からの6曲は無伴奏作品としては数百年の音楽史に名を残す名作中の名作であり、その一つの頂はBWV1004パルティータ2番とされる。そしてコーダに充てられるシャコンヌのメロディーラインとしての完成度の高さ、シンメトリーな理想的楽曲構造は取り分け有名だ。そして、その前に挿入されたレーガーのシャコンヌOp.117-4はそのバッハのシャコンヌへの彼なりのオマージュなのである。庄司のレーガー解釈はとても優秀である。闊達にしてソリッド、そして強く毅然としたパッセージの弾きこなしは堂々としており、どのトラックも外れがない。
ところが、残念なことに挟まれているバッハのトラックはどれもが中途半端であり、尚かつゆとりのないスケールと歪み感の多いダブルストップがノイジーで耳障り。全体的なエナジー感も削がれており、肩肘張らず力を抜いたソナタ&パルティータと言えば通りは良いかも知れないが、どうも違うのだ。これはMIRARE的、いや、フランス的にファンシー&ドレッシーに演出した結果である可能性も否定し得ないのだが・・。特に最終のBWV1004、その中でもコーダであるシャコンヌの出来映えが余りにも残念である。こういった重く図太い演奏や、揺らぎのないストレートな解釈で成功を収めている録音に伍していくには小手先のファッションでは通用しないと思われる。
それと、もう一つ気がかりな点がある。レーガーのトラックでは気にならないのだが、バッハのソナタ或いはパルティータでは、E線とA線の直後または同時に弾かれるD線ないしG線が1/4音ほど下がる傾向にあり、特に速めのパッセージにおいては顕著。これがどうもだらけた風情で気になって仕方がない。よくよく聴くと、リゲッティなどが書いた通常の平均律とは異なる旋法(=Lydian mode、Mixolydian mode)、つまり、自然倍音の順序で並べた音階(純正律)に似たような調子外れな雰囲気を醸しているのであるが、そういった意識的な特異な旋法を敢えて採用しているわけではなくて調律または純粋な技巧上の問題と思われる。バッハのBWV1001シリーズは現在の庄司にとってはまだ荷が重かったのかも知れない。今後の伸びしろに期待したい。
(録音評)
MIRARE、MIR128、通常CD。録音は2010年8月、パリ、ランファン・ジェジュ教会とある。音質はMIRAREにしては過剰なほどのアンビエンス成分に包まれており、非常にエコーが強く、そしてその残響時間も長い。エコー過多のきらいはあるが音質はリアルで良好だ。庄司の息遣いや衣擦れ、弦と弓の擦過音なども臨場感豊かに捉えられている。マックス・レーガーの無伴奏作品は音響的効果も手伝ってか非常に面白い。この豊かすぎる残響に埋もれることなく庄司のVnがセンターに定位すればあなたの装置の解像度は合格点と言える。この際、バッハの作品は参考出品程度と割り切って聴くべし。
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Bach & Reger: Sonatas & Partitas
CD1:
Max Reger: Prelude & Fugues, Op.117 No.2
J.S. Bach: Sonata for solo violin No.1 in G minor, BWV1001
Max Reger: Prelude & Fugues, Op. 117 No.1
J.S. Bach: Partita for solo violin No.1 in B minor, BWV1002
CD2:
Max Reger: Chaconne in G minor for Solo Violin, Op.117 No.4
J.S. Bach: Partita for solo violin No.2 in D minor, BWV1004
Sayaka Shoji (Vn)
CD1:
・レーガー: 前奏曲とフーガ ト短調Op.117-2
・J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調BWV1001
・レーガー: 前奏曲とフーガ ロ短調Op.117-1
・J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調BWV1002
CD2:
・レーガー: シャコンヌ ト短調Op.117-4
・J.S.バッハ: 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004
庄司紗矢香(ヴァイオリン)
庄司紗矢香はデビュー直後、リサイタルで何度か聴いたことがある。その庄司ももう20歳代後半だという。専属するDGから何枚かCDが出てはいるが買ったことはなかった。それがなんとMIRAREから、しかもレーガーとバッハなのだという。評判はとても良く、では、ということで遅ればせながら買ってみた。
レーガーは日本においても、またフランスにおいても割と過小評価されていて演奏機会は少ないように思われる。彼は20世紀を代表するドイツの近現代作家の一人であり、その作風はとても斬新でありながらバッハを規範とする厳格な形式主義者でもあった。レーガーはオペラや交響曲は書かず、また管弦楽曲も多くは書いていない。その代わり夥しい数のオルガン曲を残しており、これはまさにバッハへの並々ならぬ傾倒を裏付ける側面であると同時に、幼少期から優れたオルガニストとして名を馳せていた結果と思われる。彼自身、生きた時代における「現代のバッハ」を目指していた節もあり、それは若くして心筋梗塞で急逝したのがライプツィッヒであったこととなんとはなく符合するのである。
このアルバムはそういったドイツ近現代における不世出の作家=レーガーの代表作品・・・恐らくその殆どがバッハへのオマージュであるが・・・と、当のバッハの不朽の名作であるソナタ&パルティータ全6曲の中から3つを選んで交互に並べたというテーマ・アルバムである。バッハに纏わる同様の趣向のアルバムとしては、昨今ではグリモーのこれが記憶に残る。
Op.117は、レーガーがバッハ及びブラームス、リストらからインスパイアされたというロマン派的和声と旋律進行は極度のデフォルメと前衛性とによって限りなく調性を失おうとしている状態なのだが、旋律というか、コントラプンクトゥス(=カウンターポイント:対位法)自体はバッハのオルガン曲(BWV500番台)と殆ど同じ展開であり、レーガーのこれらはBWV500番台のトランスクリプション集だと言われても何も疑わないだろう。調性の方は無調性や12音技法、トーンクラスタと言うよりは超調性とでも言うべき超越した拡張的な離散和音から成り立っているようで得も言われぬ独特の不安定さ・浮遊感といった気分を現出している。
かたや、バッハのBWV1001からの6曲は無伴奏作品としては数百年の音楽史に名を残す名作中の名作であり、その一つの頂はBWV1004パルティータ2番とされる。そしてコーダに充てられるシャコンヌのメロディーラインとしての完成度の高さ、シンメトリーな理想的楽曲構造は取り分け有名だ。そして、その前に挿入されたレーガーのシャコンヌOp.117-4はそのバッハのシャコンヌへの彼なりのオマージュなのである。庄司のレーガー解釈はとても優秀である。闊達にしてソリッド、そして強く毅然としたパッセージの弾きこなしは堂々としており、どのトラックも外れがない。
ところが、残念なことに挟まれているバッハのトラックはどれもが中途半端であり、尚かつゆとりのないスケールと歪み感の多いダブルストップがノイジーで耳障り。全体的なエナジー感も削がれており、肩肘張らず力を抜いたソナタ&パルティータと言えば通りは良いかも知れないが、どうも違うのだ。これはMIRARE的、いや、フランス的にファンシー&ドレッシーに演出した結果である可能性も否定し得ないのだが・・。特に最終のBWV1004、その中でもコーダであるシャコンヌの出来映えが余りにも残念である。こういった重く図太い演奏や、揺らぎのないストレートな解釈で成功を収めている録音に伍していくには小手先のファッションでは通用しないと思われる。
それと、もう一つ気がかりな点がある。レーガーのトラックでは気にならないのだが、バッハのソナタ或いはパルティータでは、E線とA線の直後または同時に弾かれるD線ないしG線が1/4音ほど下がる傾向にあり、特に速めのパッセージにおいては顕著。これがどうもだらけた風情で気になって仕方がない。よくよく聴くと、リゲッティなどが書いた通常の平均律とは異なる旋法(=Lydian mode、Mixolydian mode)、つまり、自然倍音の順序で並べた音階(純正律)に似たような調子外れな雰囲気を醸しているのであるが、そういった意識的な特異な旋法を敢えて採用しているわけではなくて調律または純粋な技巧上の問題と思われる。バッハのBWV1001シリーズは現在の庄司にとってはまだ荷が重かったのかも知れない。今後の伸びしろに期待したい。
(録音評)
MIRARE、MIR128、通常CD。録音は2010年8月、パリ、ランファン・ジェジュ教会とある。音質はMIRAREにしては過剰なほどのアンビエンス成分に包まれており、非常にエコーが強く、そしてその残響時間も長い。エコー過多のきらいはあるが音質はリアルで良好だ。庄司の息遣いや衣擦れ、弦と弓の擦過音なども臨場感豊かに捉えられている。マックス・レーガーの無伴奏作品は音響的効果も手伝ってか非常に面白い。この豊かすぎる残響に埋もれることなく庄司のVnがセンターに定位すればあなたの装置の解像度は合格点と言える。この際、バッハの作品は参考出品程度と割り切って聴くべし。
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by primex64
| 2011-09-22 17:39
| Solo - Vn
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