2011年 08月 20日
Mahler: Sym#6 A minor 'Tragic'@Oslo PO/Jukka-Pekka Saraste |
SIMAXレーベルの春の新譜で、前回も取り上げたサラステがオスロ・フィルを振ったマラ6悲劇的。前回はWDR/ヘンスラーであったが、この悲劇的はノルウェーのSIMAXレーベル。音楽性豊かであり音質も良いことで知られるノルウェーを代表する良心的なレーベルだ。かつては、あのアンスネスや、昨今著名となってきたチェロのトルルス・モルクなども元々はSIMAXの専属アーティストだったのだ。

http://www.hmv.co.jp/en/product/detail/3961464
Symphony No. 6 in A minor, "Tragic"
1. Allegro energico, ma non troppo. Heftig, aber markig
2. Scherzo: Wuchtig
3. Andante moderato
4. Finale: Allegro moderato - Allegro energico
Oslo Philharmonic Orchestra
Jukka-Pekka Saraste (cond.)
・マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」
第1楽章 アレグロ・エネルジコ・マ・ノン・トロッポ
第2楽章 スケルツォ
第3楽章 アンダンテ・モデラート
第4楽章 フィナーレ アレグロ・モデラート
オスロ・フィルハーモニック管弦楽団
ユッカ=ペッカ・サラステ( 指揮)
オスロ・フィルは作曲家ごとの交響曲シリーズというのをSIMAXレーベルで録っており、いずれも大変な好評を得ているという。このマラ6はマーラー交響曲チクルスの第3弾となり、前に出た第1弾と共に現在の音楽監督であるサラステが指揮を執る。
このマラ6は、2010年3月のシリーズ・コンサートの中でライブ録音されたもの。オスロ・フィルの以前のマーラー交響曲のリリースでは、9番、7番とあるが、それはマリス・ヤンソンスが指揮をしていた。しかしこのCDを含め新しいものは全てサラステで行くと言うし、今年のマーラーの欧州コンサート・ツアーはやはりサラステが担当することとなっている。
マーラーは多くのコメントを6番交響曲に残していて、それによれば、この作品は非常に個人的で、かつ自伝的でさえあると理解すべきということ。マラ6が書かれた1903年夏~1904年は彼の人生のうちでも最も幸せな時期であったにもかかわらず、彼は6番を「悲劇的な交響曲」として企図した。 マーラーがこの作品を書いた時、第2楽章にスケルツォを置き、アンダンテ・モデラートを第3楽章に持ってきていた。しかし、彼はこの順序が楽章構成のうえで最も効果的であるかどうかが不確かで迷ったままだった。彼は初期の演奏会で両方の可能性のある順序を試してみた挙げ句、アンダンテとスケルツォを入れ替えた。しかしながら1910年になり、彼は再び元の状態に戻す決心をしたのだった。この録音ではここに述べたオリジナルの楽章構成を採用している。
直進性が強くてシンプル、力強い解釈だ。ブーレーズVPOのような透徹された複雑な構築美を示すわけではなく、またMTT/SFSOの微細で丹念な描き込みや緻密なアーティキュレーションを駆使した演奏ではないが、どこかに冷涼感が漂い、そして気持ちの良い「悲劇的」と言えよう。演奏時間の方だが、トータルで見るとブーレーズVPOと殆ど同じ時間で、配分的にはブーレーズVPOよりスケルツォとアンダンテを短めに仕上げ、終楽章を多少ゆったり目に進めている。MTT/SFSOのどの楽章よりかは短めだが、冒頭楽章と終楽章の過ごし方は時間配分的にも似たところがある。
(以下、このCD、ブーレーズVPO、MTT/SFSOの順)
JPS: 23:55-12:04-13:34-30:24 TOTAL: 79:57
P.B: 23:07-12:19-14:47-29:10 TOTAL: 79:23
MTT: 24:32-14:02-17:26-31:21 TOTAL: 87:21
一楽章の悲惨な行進はとてもパワフルでありながらオスロ・フィルの美点を引き出していて破綻のない統制が見られる。スケルツォの諧謔性、デモーニッシュな不安定感は割とサラリとしていて流す感じだ。マーラーの妻=アルマを描写したとされるアンダンテに関してはブーレーズVPOの耽美さやMTT/SFSOの優雅さは感じられないものの、弦楽4部はヴィブラート極小の歪み感が無いストレートな演奏で、サラステの韻を踏んだリードも秀逸。浮遊する様な薄化粧の魅力とでも比喩すべきこの楽章はなかなかに美しい。そして第三の鐘が復活導入されたフィナーレであるが、ここのダイナミックさ、パワフルさはここ数年のマラ6のCDの中でもトップクラスの出来映えだ。影と襞と光を交互に重ね合わせ、さりとて余り情感に任せるところなくひたすら駆け抜けていくスピード感はたまらない。そして規律正しいオケの統制といったベーシックな部分の実力が垣間見られる。例えば、冒頭、それから中間部に数回現れるライトモチーフ(モットー和音)におけるアインザッツが非常に良く揃っていて、これが突き抜け感を爽快なものにする効果を支えているのだ。
サラステは今後、ヨーロッパで大化けする可能性を秘めた指揮者ではないだろうか。とにかく奇を衒わず作品に対して正攻法であり、そして基本スタンスはエネルギッシュに曲を紡いでいくこと。しかし、荒らくれたり独断専行的な妙なアーティキュレーションを混ぜたりするわけではなく、とても理知的で好感が持てる解釈なのだ。
(録音評)
SIMAX、PSC1316、通常CD。録音は2010年3月10日-12日、オスロ・コンサートホール、プロデューサー:クシシュトフ・ドラーブ、エンジニア:マーリト・アスケラン、エリサベト・ソンメルネス (NRK)、マスタリング:アルネ・アクセルベルグとある。音質は極めて優秀。ライブ収録とされているが会場ノイズが殆ど聴き取れず、これは、敢えてわざわざアビーロードまで運んでリマスタした効果なのかも知れない。広大に拡がるオスロ・ホールのステージが冷涼な空気ごと切り取られている。マーラーらしい大編成オケの活発な活動を隅々まで描ききっている。D/Fともレンジ感が尋常でなく優秀だ。地を這うような低音弦、ティンパニの衝撃波、迫り来るグランカッサの波面・・・、と、すぐそこにステージがあって、そのステージ上にはオケが載っていて演奏しているとしか思われない臨場感だ。特筆すべきは弱音部でのディテール再現が全く劣化しないことで、これは掛ける装置側の実力も問われるCDと言えそう。昨今のビットマッピング技術には凄いものがある。
1日1回、ここをポチっとクリック ! お願いします。

http://www.hmv.co.jp/en/product/detail/3961464
Symphony No. 6 in A minor, "Tragic"
1. Allegro energico, ma non troppo. Heftig, aber markig
2. Scherzo: Wuchtig
3. Andante moderato
4. Finale: Allegro moderato - Allegro energico
Oslo Philharmonic Orchestra
Jukka-Pekka Saraste (cond.)
・マーラー:交響曲第6番イ短調「悲劇的」
第1楽章 アレグロ・エネルジコ・マ・ノン・トロッポ
第2楽章 スケルツォ
第3楽章 アンダンテ・モデラート
第4楽章 フィナーレ アレグロ・モデラート
オスロ・フィルハーモニック管弦楽団
ユッカ=ペッカ・サラステ( 指揮)
オスロ・フィルは作曲家ごとの交響曲シリーズというのをSIMAXレーベルで録っており、いずれも大変な好評を得ているという。このマラ6はマーラー交響曲チクルスの第3弾となり、前に出た第1弾と共に現在の音楽監督であるサラステが指揮を執る。
このマラ6は、2010年3月のシリーズ・コンサートの中でライブ録音されたもの。オスロ・フィルの以前のマーラー交響曲のリリースでは、9番、7番とあるが、それはマリス・ヤンソンスが指揮をしていた。しかしこのCDを含め新しいものは全てサラステで行くと言うし、今年のマーラーの欧州コンサート・ツアーはやはりサラステが担当することとなっている。
マーラーは多くのコメントを6番交響曲に残していて、それによれば、この作品は非常に個人的で、かつ自伝的でさえあると理解すべきということ。マラ6が書かれた1903年夏~1904年は彼の人生のうちでも最も幸せな時期であったにもかかわらず、彼は6番を「悲劇的な交響曲」として企図した。 マーラーがこの作品を書いた時、第2楽章にスケルツォを置き、アンダンテ・モデラートを第3楽章に持ってきていた。しかし、彼はこの順序が楽章構成のうえで最も効果的であるかどうかが不確かで迷ったままだった。彼は初期の演奏会で両方の可能性のある順序を試してみた挙げ句、アンダンテとスケルツォを入れ替えた。しかしながら1910年になり、彼は再び元の状態に戻す決心をしたのだった。この録音ではここに述べたオリジナルの楽章構成を採用している。
直進性が強くてシンプル、力強い解釈だ。ブーレーズVPOのような透徹された複雑な構築美を示すわけではなく、またMTT/SFSOの微細で丹念な描き込みや緻密なアーティキュレーションを駆使した演奏ではないが、どこかに冷涼感が漂い、そして気持ちの良い「悲劇的」と言えよう。演奏時間の方だが、トータルで見るとブーレーズVPOと殆ど同じ時間で、配分的にはブーレーズVPOよりスケルツォとアンダンテを短めに仕上げ、終楽章を多少ゆったり目に進めている。MTT/SFSOのどの楽章よりかは短めだが、冒頭楽章と終楽章の過ごし方は時間配分的にも似たところがある。
(以下、このCD、ブーレーズVPO、MTT/SFSOの順)
JPS: 23:55-12:04-13:34-30:24 TOTAL: 79:57
P.B: 23:07-12:19-14:47-29:10 TOTAL: 79:23
MTT: 24:32-14:02-17:26-31:21 TOTAL: 87:21
一楽章の悲惨な行進はとてもパワフルでありながらオスロ・フィルの美点を引き出していて破綻のない統制が見られる。スケルツォの諧謔性、デモーニッシュな不安定感は割とサラリとしていて流す感じだ。マーラーの妻=アルマを描写したとされるアンダンテに関してはブーレーズVPOの耽美さやMTT/SFSOの優雅さは感じられないものの、弦楽4部はヴィブラート極小の歪み感が無いストレートな演奏で、サラステの韻を踏んだリードも秀逸。浮遊する様な薄化粧の魅力とでも比喩すべきこの楽章はなかなかに美しい。そして第三の鐘が復活導入されたフィナーレであるが、ここのダイナミックさ、パワフルさはここ数年のマラ6のCDの中でもトップクラスの出来映えだ。影と襞と光を交互に重ね合わせ、さりとて余り情感に任せるところなくひたすら駆け抜けていくスピード感はたまらない。そして規律正しいオケの統制といったベーシックな部分の実力が垣間見られる。例えば、冒頭、それから中間部に数回現れるライトモチーフ(モットー和音)におけるアインザッツが非常に良く揃っていて、これが突き抜け感を爽快なものにする効果を支えているのだ。
サラステは今後、ヨーロッパで大化けする可能性を秘めた指揮者ではないだろうか。とにかく奇を衒わず作品に対して正攻法であり、そして基本スタンスはエネルギッシュに曲を紡いでいくこと。しかし、荒らくれたり独断専行的な妙なアーティキュレーションを混ぜたりするわけではなく、とても理知的で好感が持てる解釈なのだ。
(録音評)
SIMAX、PSC1316、通常CD。録音は2010年3月10日-12日、オスロ・コンサートホール、プロデューサー:クシシュトフ・ドラーブ、エンジニア:マーリト・アスケラン、エリサベト・ソンメルネス (NRK)、マスタリング:アルネ・アクセルベルグとある。音質は極めて優秀。ライブ収録とされているが会場ノイズが殆ど聴き取れず、これは、敢えてわざわざアビーロードまで運んでリマスタした効果なのかも知れない。広大に拡がるオスロ・ホールのステージが冷涼な空気ごと切り取られている。マーラーらしい大編成オケの活発な活動を隅々まで描ききっている。D/Fともレンジ感が尋常でなく優秀だ。地を這うような低音弦、ティンパニの衝撃波、迫り来るグランカッサの波面・・・、と、すぐそこにステージがあって、そのステージ上にはオケが載っていて演奏しているとしか思われない臨場感だ。特筆すべきは弱音部でのディテール再現が全く劣化しないことで、これは掛ける装置側の実力も問われるCDと言えそう。昨今のビットマッピング技術には凄いものがある。

by primex64
| 2011-08-20 14:19
| Symphony
|
Trackback
|
Comments(0)