2011年 07月 11日
Schumann: Piano Works@Irina Mejoueva - 1 |
イリーナ・メジューエワの春のリリースからシューマンの作品集。シューマンは昨年がアニバーサリー・イヤーだったがイリーナは今年になってこの二枚組を出してきた。個人的に期待は大きくはなかったが、これはなかなかに出来たアルバムでこのところ音楽鑑賞には不向きな環境下ではあるが結構聴いて癒されているのだ。二枚組なので二回に分けたいと思う。


http://www.hmv.co.jp/product/detail/3999696
Disc 1
Robert Schumann:
Arabeske Op.18
Kinderszenen Op.15
Kreisleriana Op.16
Irina Mejoueva(Pf)
CD1
シューマン:
・アラベスク 作品18
・子供の情景 作品15
・クライスレリアーナ 作品16
イリーナ・メジューエワ(ピアノ)
メジューエワの演奏は過去いろいろ聴いてきたが、これはなかなかに良い解釈と演奏で感心してしまう。シューマンは個人的には好きな作家であり、積極的に色々な演奏家のCDを買っては聴いてはいる。しかし、なかなか良い演奏には巡り会えておらず、例外としてはクレール・デゼールなどの演奏がいくつか挙げられる程度。このアルバムはイリーナの最新アルバムだが、曲の構成としては多くを含んだ大編成、しかも著名で代表的、かつ演奏技巧と表現幅が求められる難曲ばかりを並べてきた格好でなかなかにチャレンジャブルな内容となっている。
冒頭のアラベスクは意表を突く低い温度感だ。しかし、求道的な展開部から俄然アクセルが掛かってくる。この曲自体が茫洋としている中、メジューエワの解釈もまた浮遊感漂う佳作と言える。次の定番、子供の情景だが、これもまた温度感が低いドライ、しかも意外にも強打で終始する男性的な表現だ。これは、子供というよりは、大人の感じるノスタルジー(過去を懐かしむ気風)、或いは望郷の念が籠められたような情景描写を狙った「侘び」が感じられるアーバンな解釈だ。
そして、一枚目のクライマックスであるクライスレリアーナ。これはイリーナの技巧が確かなことを指し示す好演であり、とかく、演奏会場に楽譜を持ち込んで見ながら演奏する彼女を批判するコメントが横行する中、それは意味のない誹りであることを示す演奏だ。彼女は曲を暗譜していないのではなく、暗譜しているけれども自我の表現が譜面の域を超えないようにと確認するために読みながら弾いているのだと個人的には思っている。それが、彼女をしてヴィルトォーゾたらしめない大きな理由なのかも知れない。話を戻すと、このクライスレリアーナはとても熱くて強靱、そして微細にして霊妙な演奏なのだ。メジューエワの解釈は弾く作家により大きく変わるが、このシューマンも一枚目に関してはそういった変幻な部分があり、これはこれでとても楽しめる彼女らしい演奏だ。
(続く)
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Arabeske Op.18
Kinderszenen Op.15
Kreisleriana Op.16
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・アラベスク 作品18
・子供の情景 作品15
・クライスレリアーナ 作品16
イリーナ・メジューエワ(ピアノ)
メジューエワの演奏は過去いろいろ聴いてきたが、これはなかなかに良い解釈と演奏で感心してしまう。シューマンは個人的には好きな作家であり、積極的に色々な演奏家のCDを買っては聴いてはいる。しかし、なかなか良い演奏には巡り会えておらず、例外としてはクレール・デゼールなどの演奏がいくつか挙げられる程度。このアルバムはイリーナの最新アルバムだが、曲の構成としては多くを含んだ大編成、しかも著名で代表的、かつ演奏技巧と表現幅が求められる難曲ばかりを並べてきた格好でなかなかにチャレンジャブルな内容となっている。
冒頭のアラベスクは意表を突く低い温度感だ。しかし、求道的な展開部から俄然アクセルが掛かってくる。この曲自体が茫洋としている中、メジューエワの解釈もまた浮遊感漂う佳作と言える。次の定番、子供の情景だが、これもまた温度感が低いドライ、しかも意外にも強打で終始する男性的な表現だ。これは、子供というよりは、大人の感じるノスタルジー(過去を懐かしむ気風)、或いは望郷の念が籠められたような情景描写を狙った「侘び」が感じられるアーバンな解釈だ。
そして、一枚目のクライマックスであるクライスレリアーナ。これはイリーナの技巧が確かなことを指し示す好演であり、とかく、演奏会場に楽譜を持ち込んで見ながら演奏する彼女を批判するコメントが横行する中、それは意味のない誹りであることを示す演奏だ。彼女は曲を暗譜していないのではなく、暗譜しているけれども自我の表現が譜面の域を超えないようにと確認するために読みながら弾いているのだと個人的には思っている。それが、彼女をしてヴィルトォーゾたらしめない大きな理由なのかも知れない。話を戻すと、このクライスレリアーナはとても熱くて強靱、そして微細にして霊妙な演奏なのだ。メジューエワの解釈は弾く作家により大きく変わるが、このシューマンも一枚目に関してはそういった変幻な部分があり、これはこれでとても楽しめる彼女らしい演奏だ。
(続く)
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by primex64
| 2011-07-11 00:13
| Solo - Pf
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