2011年 05月 14日
Korngold: Sym in F#maj@Marc Albrecht/Strasbourg PO. |
これも昨秋リリース、ペンタトーンからの優秀盤だ。ペンタトーンは一貫してSACDハイブリッド盤を制作販売している老舗レーベルだが、音質的には高域に独特の光沢というか、ある種のキャラクタが乗っているのが気になる点だった。また、割と着目していたユリア・フィッシャーがユニバーサル(DECCA)に移ってしまったのでこのところ余り買っていなかった。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3922229
Korngold:
Symphony in F sharp major, Op. 40
Much Ado About Nothing, incidental music, Op. 11
Orchestre Philharmonique de Strasbourg, Marc Albrecht(Cond)
コルンゴルト:
・交響曲嬰ヘ長調 op.40
・劇音楽「から騒ぎ」op.11
ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団
マルク・アルブレヒト(指揮)
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは、1947年のウィーン渡航前に彼の最初の交響曲を書き始め、そして彼の没後、大きな称賛を浴びることとなるこの作品は、紆余曲折があったもののハリウッドへ戻った1952年に完成した。
戦後となり、クラシックの楽壇へ回帰することを企図した彼は古巣のウィーンを訪れたが、帰郷公演の目玉とされた交響的セレナーデと歌劇カトリーン等の作品を含め彼を評価するものは誰もいなかった。ウィーンから失意の底でハリウッドに戻った少し後、二つ目の交響曲を書いている途中にコルンゴルトは脳卒中で急逝したのだ。
この交響曲は、彼が「二つの世界」で生きたその生涯の証を縮図としてまとめたものと言える。即ち、目覚ましい業績を挙げたオペラやバレエ等の歌劇音楽の世界、および亡命後に生業とした映画音楽の世界、そして生まれ育った欧州、およびユダヤ人として亡命した先の米国・・。この曲は、彼の「避難所」であったアメリカ合衆国に対する「捧げ物」とするべく意図され、そして時の大統領=ルーズベルトに献呈されている。
尚、マルク・アルブレヒトは、20世紀音楽への真摯な取り組みが高く評価されている気鋭の指揮者であり、昨今のペンタトーンでは「顔」的な存在である。
コルンゴルトの作品は、現在の日本では広く知られるものとなっているが、この交響曲嬰ヘ長調が初演されたのは1999年4月と、割と最近のことである。曲は4楽章形式だが先例に囚われない斬新で鮮やかな曲想を持っている。現代音楽やトーンクラスタなどの難解で奇怪なものではなく調性、旋律、拍子ともに明確に刻まれる。但し拍子に関しては割と短い小節の間にも頻繁に出し入れが行われ目まぐるしい進行を見せる。2楽章がスケルツォとなっていて、ここが疾風怒濤で目眩く展開、そして一大スペクタクルを想像させる情景描写が白眉だ。ここはある種の三部形式で、中間部が少し緩徐となるけれど最終部はコーダへ向けてまたしても疾駆する。次の3楽章はアダージオと表記されているけれども何故か速度指示はレントである。前の楽章とは一転、とても内省的で静謐、そしてメロディアスかつ美しい純和音で展開され、これはマーラーの5番やサン=サーンスの交響曲或いはいくつかの協奏曲の緩徐楽章を連想させられる完成度であって、この作品のもう一つの白眉と言って良い。最終楽章のフィナーレは大らかである意味牧歌的、またはアメリカ中西部の開拓時代の風情を模しているのであろうか、シンプルで見通しの良い曲想である。強奏の大団円で作品は締めくくられる。
から騒ぎは、元々は同名のシェイクスピアの喜劇であり、この劇の付随音楽の位置付けでコルンゴルトが書いた作品だ。いくつかの小さなアーティクルから構成される組曲と言ってよく、肩肘張らずに楽しく聴ける、極々真っ当な劇中または幕間音楽だ。特に冒頭の序曲を聴くとコルンゴルトの類い希なる歌劇作曲家としての才能が確認できる。器楽構成もそこそこ大きく、ゴージャスで馥郁たる曲想である。
(録音評)
PentaTone PTC5186373、SACDハイブリッド。録音は2010年3月、場所はストラスブールのパレ・ド・ラ・ムジークとある。前述の通り、PentaToneの録音には一貫して独特のキャラクタが高域に感じられ、あまり買ってはいなかったのであるが、この盤もまたPentaToneの生粋の録音であることを示す高域の光沢感が入っている。しかし、従前ほど派手ではなく、薄化粧程度のブリリアンスと言えようか。しかし、このSACDハイブリッドの真骨頂はそういった小さな事柄を超越した未曾有の超高音質にこそある。
少し前のクラシックCD録音は、マスターがDSDということもしばしばだったが、ここ数年ではそれは殆ど見られず、おおかたがハイビット/ハイサンプリングPCMで録っていると言ってよい。その隈取りが太くて濃厚なLPCMの密度感をそのまま格納するにはSACD媒体が好適なわけで、従って24bit/192kHz PCMなどのHiFi音声をSACDを介して聴いていると言うことに他ならない。だが、この盤は珍しく最初からDSD録音されたものであり、聴感上、DSDの特徴が非常に強く表れている。しかし、従来のDSD録音に見られた弱点(欠陥)がことごとく克服されているという点において画期的な盤と断言する。オリジナルDSDマスターの弱点はフォルティッシモで腰砕けして音場空間が乱れて薄口になること、および低域のどよんとした緩み具合なのだが、この盤にはその傾向は微塵も感じられない。なおかつ、奥へ奥へと三次元的に深く球形に展開するサウンドステージ、しゅわしゅわとした演奏会場特有の空気感がそのままマイク断面で切り取ったように入っているが、これはDSDマスターにのみ備わった形質であって、如何なる高性能PCMでもこれを成し得ることはないのだ。ストコフスキー配列の弦を中心としたオケの立体的俯瞰、そして豊富に打ち鳴らされるグランカッサやその他パーカッションの超弩級の迫力と超絶的な臨場感は我が家でも先例がないほど凄い、目が覚める録音だ。
ということで、これはDSD録音としてはまさに画期的な高性能、PentaToneは決して侮れないレーベルなのだ。素晴らしい!
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http://www.hmv.co.jp/product/detail/3922229
Korngold:
Symphony in F sharp major, Op. 40
Much Ado About Nothing, incidental music, Op. 11
Orchestre Philharmonique de Strasbourg, Marc Albrecht(Cond)
コルンゴルト:
・交響曲嬰ヘ長調 op.40
・劇音楽「から騒ぎ」op.11
ストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団
マルク・アルブレヒト(指揮)
エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは、1947年のウィーン渡航前に彼の最初の交響曲を書き始め、そして彼の没後、大きな称賛を浴びることとなるこの作品は、紆余曲折があったもののハリウッドへ戻った1952年に完成した。
戦後となり、クラシックの楽壇へ回帰することを企図した彼は古巣のウィーンを訪れたが、帰郷公演の目玉とされた交響的セレナーデと歌劇カトリーン等の作品を含め彼を評価するものは誰もいなかった。ウィーンから失意の底でハリウッドに戻った少し後、二つ目の交響曲を書いている途中にコルンゴルトは脳卒中で急逝したのだ。
この交響曲は、彼が「二つの世界」で生きたその生涯の証を縮図としてまとめたものと言える。即ち、目覚ましい業績を挙げたオペラやバレエ等の歌劇音楽の世界、および亡命後に生業とした映画音楽の世界、そして生まれ育った欧州、およびユダヤ人として亡命した先の米国・・。この曲は、彼の「避難所」であったアメリカ合衆国に対する「捧げ物」とするべく意図され、そして時の大統領=ルーズベルトに献呈されている。
尚、マルク・アルブレヒトは、20世紀音楽への真摯な取り組みが高く評価されている気鋭の指揮者であり、昨今のペンタトーンでは「顔」的な存在である。
コルンゴルトの作品は、現在の日本では広く知られるものとなっているが、この交響曲嬰ヘ長調が初演されたのは1999年4月と、割と最近のことである。曲は4楽章形式だが先例に囚われない斬新で鮮やかな曲想を持っている。現代音楽やトーンクラスタなどの難解で奇怪なものではなく調性、旋律、拍子ともに明確に刻まれる。但し拍子に関しては割と短い小節の間にも頻繁に出し入れが行われ目まぐるしい進行を見せる。2楽章がスケルツォとなっていて、ここが疾風怒濤で目眩く展開、そして一大スペクタクルを想像させる情景描写が白眉だ。ここはある種の三部形式で、中間部が少し緩徐となるけれど最終部はコーダへ向けてまたしても疾駆する。次の3楽章はアダージオと表記されているけれども何故か速度指示はレントである。前の楽章とは一転、とても内省的で静謐、そしてメロディアスかつ美しい純和音で展開され、これはマーラーの5番やサン=サーンスの交響曲或いはいくつかの協奏曲の緩徐楽章を連想させられる完成度であって、この作品のもう一つの白眉と言って良い。最終楽章のフィナーレは大らかである意味牧歌的、またはアメリカ中西部の開拓時代の風情を模しているのであろうか、シンプルで見通しの良い曲想である。強奏の大団円で作品は締めくくられる。
から騒ぎは、元々は同名のシェイクスピアの喜劇であり、この劇の付随音楽の位置付けでコルンゴルトが書いた作品だ。いくつかの小さなアーティクルから構成される組曲と言ってよく、肩肘張らずに楽しく聴ける、極々真っ当な劇中または幕間音楽だ。特に冒頭の序曲を聴くとコルンゴルトの類い希なる歌劇作曲家としての才能が確認できる。器楽構成もそこそこ大きく、ゴージャスで馥郁たる曲想である。
(録音評)
PentaTone PTC5186373、SACDハイブリッド。録音は2010年3月、場所はストラスブールのパレ・ド・ラ・ムジークとある。前述の通り、PentaToneの録音には一貫して独特のキャラクタが高域に感じられ、あまり買ってはいなかったのであるが、この盤もまたPentaToneの生粋の録音であることを示す高域の光沢感が入っている。しかし、従前ほど派手ではなく、薄化粧程度のブリリアンスと言えようか。しかし、このSACDハイブリッドの真骨頂はそういった小さな事柄を超越した未曾有の超高音質にこそある。
少し前のクラシックCD録音は、マスターがDSDということもしばしばだったが、ここ数年ではそれは殆ど見られず、おおかたがハイビット/ハイサンプリングPCMで録っていると言ってよい。その隈取りが太くて濃厚なLPCMの密度感をそのまま格納するにはSACD媒体が好適なわけで、従って24bit/192kHz PCMなどのHiFi音声をSACDを介して聴いていると言うことに他ならない。だが、この盤は珍しく最初からDSD録音されたものであり、聴感上、DSDの特徴が非常に強く表れている。しかし、従来のDSD録音に見られた弱点(欠陥)がことごとく克服されているという点において画期的な盤と断言する。オリジナルDSDマスターの弱点はフォルティッシモで腰砕けして音場空間が乱れて薄口になること、および低域のどよんとした緩み具合なのだが、この盤にはその傾向は微塵も感じられない。なおかつ、奥へ奥へと三次元的に深く球形に展開するサウンドステージ、しゅわしゅわとした演奏会場特有の空気感がそのままマイク断面で切り取ったように入っているが、これはDSDマスターにのみ備わった形質であって、如何なる高性能PCMでもこれを成し得ることはないのだ。ストコフスキー配列の弦を中心としたオケの立体的俯瞰、そして豊富に打ち鳴らされるグランカッサやその他パーカッションの超弩級の迫力と超絶的な臨場感は我が家でも先例がないほど凄い、目が覚める録音だ。
ということで、これはDSD録音としてはまさに画期的な高性能、PentaToneは決して侮れないレーベルなのだ。素晴らしい!
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by primex64
| 2011-05-14 19:19
| Symphony
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