Mendelssohn:Variations sérieuses Op.54 Etc@Sachiko Furuhata-Kersting |
これはOEHMSの新譜で、サチコ・フルハタ=ケルスティングのコンピレーション盤。彼女は日本では完全無名だがドイツ始め欧州では人気急浮上中のピアニストだとかで、これがOEHMSデビュー盤となる。

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・メンデルスゾーン:厳格な変奏曲ニ短調 Op.54
・シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化芝居 Op.26
・リスト:コンソレーション第3番変ニ長調 S.172-3
・リスト:ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」
サチコ・フルハタ=ケルスティング(ピアノ)
ジャケットと奏者、収録楽曲を眺めたうえで敢えてこのアルバムを買おうという人は皆無ではなかろうか。しかし、このレーベルはOEHMSである。OEHMSの場合、こういった見た目の特色に乏しくて凡そ食指が動かないようなアルバムには思わぬお宝が潜んでいることが往々にしてあって、今回も瞬時にその臭いを感じ取った。
Sachiko Furuhata-Kerstingの経歴は検索しても殆ど出て来ないし、どれくらいの年代の人物なのかも分からない。横浜生まれであること、東京の音楽学校(ライナーにはTokyo Academy of Musicとある。しかし輸入元の解説には武蔵野音大と書いてあるが・・)を出ていて、その後デュッセルドルフに渡って研鑽を積んだことは分かった。
一聴して分かるのであるが、この人のピアノはとても変わっている。例えるならばピアノの鍵盤を「弾く」ではなく「押下」するとできようか。通常のピアニストは指先で鍵盤を叩く、弾(はじ)く、触る、撫でる・・、という具合に様々なタッチの仕方で様々な音を出すのであるが、ケルスティングの場合には指先と鍵盤、さらに鍵盤の奥にあるアクション機構までが奏者の肉体と接合され一体化しているかのごとく、即ち、指と鍵盤の間に介在するであろう距離と界面を察知することができないのだ。
Variations sérieusesはメンデルスゾーン作品中でも硬派で難解、いかめしい曲だが、ケルスティングはこの特徴的な重量感と高い安定度で淡々と歩を進めていく。
どっしりとした低い重心から繰り出されるブロードで澱みのない打鍵音はピアノらしいブリリアンスが一切ない代わりに、美しく静かに調和する和声を生み出し、そして太めで着実なスケールは男性的で質実剛健な印象を醸す。
あまり知られていなかったかも知れないが、今年はシューマン生誕200周年でもあって、じつはシューマンとショパンは同い歳だったのだ。だから、というわけではあるまいが次には名作 Faschingsschwank aus Wien が入っている。この曲は全編が殆ど急ぎ調子の楽しい曲(=Pf奏者にしてみれば速くて気忙しくて気が抜けない難曲)であるが、ケルスティングのこの重量級の音作りが邪魔するかというと全くそんなことはなく、隈取りの太い音のまま細かなスケールを難なくこなし、随所に潜む高速パッセージを見事にトレースしきるのだ。この作品の演奏としては、音の太さに関しては知る限り随一であって、クラウディオ・アラウの道化芝居の堂々たる演奏にとても似た雰囲気だ。
後半はリストの二つの作品を並べている。コンソレーション3番は静謐かつ瞑想的な作品で、純粋和音の美しさと空白・余韻の対比が素晴らしい名曲だが、ケルスティングの上腕部が鍵盤を経由せずそのままハンマーを駆動しているかの正確無比、動力伝達ロスが限りなくゼロに近い無駄のない打鍵が奏功し、S/N感が極めて高い、内省的で美しい演奏となっている。一方のダンテ・ソナタは、激しく荒れ狂う情念、そして間欠的に訪れる沈黙と、大規模で大胆な乱高下は奏者の力量をそのまま現すと言ってよい難曲だ。リストのこの名曲で記憶に残るのはフランス・クリダの鮮やかで強烈な色彩感の演奏だ。ケルスティングのこの演奏は重心の座った音数の多い、ややくすんだ色彩感の地味な演奏だが、よくよく聴き込むと、細部にまで気を配っていて一つ一つの音符を明晰なマルカートでトレースしているのが分かる。強奏部では僅かな混濁を認めるも、全体としてみればダイナミックで野太いリストと言える。
日本で生まれ育ち、そして欧州へ渡って成功している奏者は意外に多く、しかも日本においては全く無名という例が殆どだ。このケルスティングもそうだが、録音を聴く限りにおいてはメジャーレーベル所属の名が通ったピアニストとレベルは同じ、いやそれを凌駕するほどの実力の持ち主であることが普通であり、世界水準の演奏家を生み出し続ける日本は「音楽立国」としてもっと誇ってよいと思うのだ。こういった優れた演奏家が苦労なく日本国内で活躍できるよう、本当の意味での文化的土壌整備に努めて欲しいと願う。
(録音評)
OEHMS、OC774、通常CD。録音は2010年5月19~20日、場所はカイザースラウテルンの南西ドイツ放送スタジオとある。音質はOEHMSの典型で地味で暗めの独奏録音だ。無駄なアンビエントが一切含まれず、ピアノの純粋なトーンが中央に結像する。細部を抉るような過度な高解像サウンドではないが、中間部帯域を重視した大人の調音であり、これは癒される音作りだ。
