Chaconne@Rinaldo Alessandrini |

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・フレスコバルディ:パッサカリア~トッカータ集第1巻(1637年版)より
・カバリニェス:第1旋法によるパッサカリア&第4旋法によるパッサカリア
・ベルナルド・ストラーチェ:シャコンヌ(チェンバロとオルガンのタブラチュアの作品の森より)
・L.クープラン:シャコンヌ ト長調
・J.K.ケルル:チャコーナ
・パーセル:シャコンヌ
・G.リゲティ:英国風パッサカリア
・L.クープラン:パッサカイユ ト短調
・ゲオルク・ムッファト:パッサカリア~「オルガン音楽の練習」より
・フランソワ・ダジャンクール:シャコンヌ『ラ・ソニング』
・J.K.F.フィッシャー:シャコンヌ(組曲エウテルペより)、パッサカリア(組曲ウラニアより)~『音楽のパルナッソス山』より
・ヘンデル:シャコンヌ
・フォルクレ:ラ・ビュイソン、シャコンヌ―Gratieusement~ヴィオール組曲第2番より
・リナルド・アレッサンドリーニ:シャコンヌ『無分別の美』
リナルド・アレッサンドリーニ(チェンバロ)
シャコンヌやパッサカリアは音楽(というか舞曲)の一形態であって、数多くの作家が同名で夥しい数の作品を残している。このアルバムではその歴史的変遷を辿るというテーマを基にアレッサンドリーニが数年掛けて編纂してきた構成となっているそうだ。アレッサンドリーニはモンテヴェルディ解釈の第一人者とされ、そして昨今ではアンシェント音楽全般の世界では指揮者としての名声が高いが、このアルバムは純粋なチェンバリストとしての視点から取り組んだ作品となる。
取り上げている作家はフレスコバルディから現代のリゲティにまで及んでおり、音楽史上におけるシャコンヌとパッサカリアの概念を様々な形態を取り上げて改めて再発見するというプログラムになっており、大変に興味深く意義深い内容だ。
因みにアレッサンドリーニ自身が作曲したシャコンヌも最終トラックに収めてあり、これはこれで納得できる、また深い研究と考察の結果を反映したかの作品となっている。
シャコンヌとパッサカリアは舞曲をその起点とした曲形態の一つで、通奏低音とリズムが短いタームで反復を繰り返し、それらが僅かずつ変化して行くという原理に基づいて書かれている。これを聴いているリスナーには一種の目眩の様な状態(一種のトランス状態)がもたらされるとしており、事実、ずっと聴いていると現代におけるミニマル系のその快楽的無限ループに近いものがあることが分かるのだ。
白眉はストラーチェ、クープラン、ケルルの作品たちで、深いリズムと複雑そうに見える旋律の間にたゆたうシャコンヌ形式の神髄が聴ける。圧巻は、かのリゲッティの作品だ。確かに過去の名作曲家たちが旋律と和声を選びに選び抜いて確立してきたシャコンヌ/パッサカリアの特徴をばっさりと断面で切って見せておりこれは確かに「らしい」展開をいっぱい聴かせられる。しかし、その後の急峻な展開は息を呑むほど鮮やか且つ予測を裏切るもので、一気に12音的、またトーンクラスタ的世界へと突き進むのである。これはこれでちゃんと和声を裏に忍ばせているのでパッサカリアとしての体はなしているのだ。
やはり一番安心するのはヘンデルの超有名なシャコンヌで、これは時代も文化圏も超越したグローバルなプレゼンスを放つ名作だ。これを活き活きと、喜々として弾いていくアレッサンドリーニの軽快で愉快な姿が目に見えるようである。
(録音評)
naive、OP30468、通常CD。音質はいつもの薫り高いnaiveそのもの。楽器の定位は中庸位置でありチェンバロの掻弦動作の克明さは群を抜く。しかし、刺激的で耳障りなノイズではなく極自然なディテールを捉えているのだ。ホールトーンも割と豊かで、チェンバロ一台だけのスケール感、プレゼンスとしては理想に近い収録と言える。秋のゆったりした夕刻から夜にかけてじっくりと聴いてみたいアルバムの一つだ。
