Schubert: Rosamunde, Berg: Lyric Suite@Quatuor Thymos,S.Haller,C.Eschenbach |
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3739978
シューベルト:
・糸を紡ぐグレートヒェン D118
・シラーの「ギリシアの神々」の一節
・弦楽四重奏曲第13番『ロザムンデ』
アルバン・ベルク:
・私のまぶたを閉じてください (1900)
・私のまぶたを閉じてください (1925)
・叙情組曲
ザロメ・ハラー(ソプラノ)
クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)
ティモス四重奏団
千々岩英一(ヴァイオリン)、ガブリエル・リシャール(ヴァイオリン)
マリ・プーランジェ(ヴィオラ)、マリ・ルクレルク(チェロ)
録音時期:2009年6月
録音方式:デジタル(セッション)
ウィーン楽派 vs 新ウィーン楽派という対比、コンポジションの中から彼らの類似性と相異性をつまびらかにしようという試みのアルバムは割とこのところ多い。シューベルトはウィーン楽派(=恐らくはシェーンベルクなどの新ウィーンと言われている人たちと対比するために作られた言葉だと思うが・・)とするには無理があるにはあるが、同列に並べることの出来る音楽史的研究成果を盛り込んだ作品集と言える。
シューベルトは多くの歌曲を書いた作家の一人として高名だ。その多くを同時代の前後を生きた著名作家、即ちシラーやゲーテと言った人たちからインスパイアされ、そして事実、多くの歌曲において彼らの詩やテキストを引用して来たのは周知の事実。後年、シューベルトはこれらの作品のエッセンスを如何にすると管弦楽曲に注入して歌心を伝えることが可能かを模索したという。その成果の一つがここでも取り上げている著名なカルテット「ロザムンデ」だという。
一方のアルバン・ベルクは、師匠のシェーンベルクの言を借りるなら、とにかく大衆的俗的な歌しか作曲できないほどプアな創作能力しか備わっていない若年期だったそうで、その彼が後刻、多くの12音階技法に基づく管弦楽曲を作曲できたのは歌曲からインスパイアされた歌心を弦楽4部など器楽曲用スコアへと変換する技術を身に付けたからだという。
このアルバムはアルバン・ベルクがシューベルトの作品を範としつついかにしてその「変換」技術を獲得していったのかという点で原典との比較を交えて時代考証的にトレースを掛けた力作となっている。因みに、ライナーの解説ヘッドラインにはシューベルトの方は「Implicit text and memory」とありアルバン・ベルクの方は「Implicit text and encoding」と書いてあって、確かにこのキャッチコピーが象徴する通りの作風と言える。言い得て妙だ。
エッシェンバッハが賛助プロデュースしたこのアルバムはテーマ性という点においては面白いが、演奏面でも斬新な息吹きを感じることが出来る。まず、ザロメ・ハラーというソプラノのしっとりとした大人の歌唱力には刮目させられる。鄙びたなかにも芯を突くエッシェンバッハのピアノ伴奏も独特の立ち位置を主張している。気鋭の日本人Vn奏者、千々岩英一が加わるティモス弦楽四重奏団は清冽にして鋭敏な音を出す音楽家集団でこれまた着目すべきパフォーマンス。
「私のまぶたを閉じてください」は、確かにシューベルトの前出の作品に似ている。また、叙情組曲は非常に長く大規模な作品であるが、色々な音の要素がたゆたうように詰まった秀作。これをもって歌心が変換されて再構築されているのだ、と言えるだけ我が耳が肥えているわけではないのが残念なところであるが、和声と響きの多様性という点においては確かに普通の管弦楽曲を超えた柔軟性と奥行きを備えていると思う。
(録音評)
CALLIOPEレーベル、CAL9410、通常CD。音質は中庸を行く地味系で太くもなく細くもないディテール表現。しかし、よくよく聴くと定位が良好で楽器の位置が明確に分かる解像度を備えた秀作と言えようか。特にベルクの組曲最終部でザロメ・ハラーがセッションに加わる瞬間がゾクッとするリアルさであり、これはなんとも言えない臨場感だ。これは聴けば聴くほどその音作りの巧妙さが分かってくるという盤だ。針を落とした瞬間に分かる優秀録音盤には備わっていない密やかな楽しみが潜んでいる録音なのであった。
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