2009年 09月 25日
Mahler: Sym#8 & #10-Adagio@MTT/SFSO |
SFS Mediaの新譜から#8と遺作の未完#10のアダージオ。MTTのマーラー・チクルスもいよいよ最終盤となった。最後を飾るに相応しく千人と10番を並べた2枚組SACDハイブリッドだ。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3646426
マーラー:
・交響曲第10番嬰ヘ短調~アダージョ
サンフランシスコ交響楽団
マイケル・ティルソン・トーマス(指揮)
・交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』
エリン・ウォール(ソプラノ:罪深き女)
エルザ・ファン・デン・ヘーヴァー(ソプラノ:懺悔する女)
ラウラ・クレイコム(ソプラノ:栄光の聖母)
カタリーナ・カルネウス(メゾ・ソプラノ:サマリアの女)
イヴォンヌ・ナエフ(メゾ・ソプラノ:エジプトのマリア)
アンソニー・ディーン・グリフィー(テノール:マリア崇拝の博士)
クイン・ケルシー(バリトン:法悦の教父)
ジェイムズ・モリス(バス・バリトン:瞑想する教父)
サンフランシスコ交響合唱団
ラグナ・ボーリン(合唱指揮)
パシフィック少年合唱団
ケヴィン・フォックス(合唱指揮)
サンフランシスコ少女合唱団
スーザン・マクメーン(合唱指揮)
サンフランシスコ交響楽団
マイケル・ティルソン・トーマス(指揮)
10番が1枚目冒頭に入っているが、これは後回しで8番を先に。
通常の多くのマラ8は第一部が絢爛豪華または豪壮な展開で少々荒れ気味なのであるがMTT/SFSOのこれは分水嶺であるAccende Lumen Sensibus(=通常はそうトラック表記されるが、この部分はこの盤では何故か「Infunde Amorem Cordibus」に含めている)を除いては、淡々と流れる控えめ、静謐な解釈だ。これに関しては賛否が分かれると思う。かなりの秀作だったゲルLSOはタイトでハイスピードでありながらデュナーミクを多用し起伏に富んだ表現だったし、ブーレーズ/シュターツカペレ・ベルリンも、たゆたう様なロマンチシズムに満ち溢れた好演だった。MTTらしいといえばらしい第一部だった。
第二部の聴き所はやはり後半のKomm! Hebe dich zu höhern Sphären! ~ Blicket auf ~ フィナーレのAlles Vergängliche までであろう。テノールのアンソニー・ディーン・グリフィーが切々とBlicket auf!と歌い出すとステージの空気が急に明るく華やぐ。この人の声は透明で素晴らしい。対するソプラノ二人はどうも線が細すぎてマーラーの歌曲には合わない感じだ。寧ろメゾに歌わせても良かった気がする。このコーダに向かう部分の盛り上げはMTTらしい冷静沈着なもので過度な情感を込めていない。スコアに対する透過度は高い演奏と言えよう。
全体を通して透明度の高い澄明な解釈で、時間的揺らぎに殆ど依存しない精緻な演奏だ。因みにこの部分もゲルLSO、ブーレーズ/シュターツカペレ・ベルリンと聴き比べてみた。ゲルは高速で駆け抜けているかと思いきやこの部分の歌わせ方は絶品で、切れのあるアゴーギクを多用しながら劇的なコーダへとひた走っている。ブーレーズの方も意外なほどのアゴーギク、メリハリの効いたパウゼを随所に挿入しながら快調に進み、穏やかではあるが腹の底からこみ上げてくる感動が何とも言えない名演だ。
閑話休題、この余りに清潔すぎるMTTの解釈は好みの別れるところかも知れない。飲み水には適度な鉱物成分が含まれていないと味が全くしないが、そういった超軟水=蒸留水を良しとするか、ある程度のミネラルを含んだ準硬水を良しとするかは個人の好みであるのと同様、このMTT/SFSOのマラ8をどのように解釈して楽しむかもまた賛否が分かれるところだろう。因みに、ソプラノ以外はどのパートをとっても完璧な演奏であり現代マーラーの手本中の手本と言って良い素晴らしい出来映えだ。
最後、遺作#10のアダージオだが、これは出色の演奏であり、もの凄く綺麗だ。#10はチクルスの数合わせのためだけと思われがちなぐらい軽視されているのが現状だと思うのだが、これは渾身の演奏であり瞑想的かつ優美・幽玄な音世界を紡ぎ出しているのだ。
(録音評)
SFS Media(自主制作レーベル)、821936-0021-2、SACDハイブリッド。#10は2006年4月6-8日、#8の方は2008年11月19-23日、いずれもデイヴィス・シンフォニー・ホールでのライブ収録。
録音担当はTritonus Musikproduktion GmbHで、社長であるAndreas Neubronner自らが指揮を執っての録音。音はいつものクォリティであるが、さすがにこの規模の曲になるとデイヴィス・シンフォニーホールの性能限界が見えてしまう。第一部の数カ所のトゥッティでホール空間がサチって(=Satulated:飽和)しまっており著しい混濁が見られる。
これは録音のせいではなく、強烈に持続する直接音とホール残響に壁材が耐え切れなくて共鳴しているような状態と考えられる。事実、都内のサントリー・ホールや芸劇などでもマーラーやラベル、ヴェルディなどの拡張5管編成(+コーラス)でこの様な現象が時折見られるので不自然な事ではない。同じ#8についてはゲルはバービカンを諦めてセント・ポール大聖堂で、ブーレーズは敢えてイエス・キリスト教会でと、エア・マスが十二分に確保出来る巨大な録音場所を選んでいるのにはちゃんとした理由があるのが分かるし、それらを改めて聴き直すとその効果がの実に現れているのだ。しかし、第二部に関してはこれらの問題はなく安心して聴いていられる。
#10の録音は#8の録音よりも遙かに優秀で、こちらの方が本来のTritonus/Neubronnerの音であることに気が付く。このところ#10ばかり聴いている。
1日1回、ここをポチっとクリック ! お願いします。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3646426
マーラー:
・交響曲第10番嬰ヘ短調~アダージョ
サンフランシスコ交響楽団
マイケル・ティルソン・トーマス(指揮)
・交響曲第8番変ホ長調『千人の交響曲』
エリン・ウォール(ソプラノ:罪深き女)
エルザ・ファン・デン・ヘーヴァー(ソプラノ:懺悔する女)
ラウラ・クレイコム(ソプラノ:栄光の聖母)
カタリーナ・カルネウス(メゾ・ソプラノ:サマリアの女)
イヴォンヌ・ナエフ(メゾ・ソプラノ:エジプトのマリア)
アンソニー・ディーン・グリフィー(テノール:マリア崇拝の博士)
クイン・ケルシー(バリトン:法悦の教父)
ジェイムズ・モリス(バス・バリトン:瞑想する教父)
サンフランシスコ交響合唱団
ラグナ・ボーリン(合唱指揮)
パシフィック少年合唱団
ケヴィン・フォックス(合唱指揮)
サンフランシスコ少女合唱団
スーザン・マクメーン(合唱指揮)
サンフランシスコ交響楽団
マイケル・ティルソン・トーマス(指揮)
10番が1枚目冒頭に入っているが、これは後回しで8番を先に。
通常の多くのマラ8は第一部が絢爛豪華または豪壮な展開で少々荒れ気味なのであるがMTT/SFSOのこれは分水嶺であるAccende Lumen Sensibus(=通常はそうトラック表記されるが、この部分はこの盤では何故か「Infunde Amorem Cordibus」に含めている)を除いては、淡々と流れる控えめ、静謐な解釈だ。これに関しては賛否が分かれると思う。かなりの秀作だったゲルLSOはタイトでハイスピードでありながらデュナーミクを多用し起伏に富んだ表現だったし、ブーレーズ/シュターツカペレ・ベルリンも、たゆたう様なロマンチシズムに満ち溢れた好演だった。MTTらしいといえばらしい第一部だった。
第二部の聴き所はやはり後半のKomm! Hebe dich zu höhern Sphären! ~ Blicket auf ~ フィナーレのAlles Vergängliche までであろう。テノールのアンソニー・ディーン・グリフィーが切々とBlicket auf!と歌い出すとステージの空気が急に明るく華やぐ。この人の声は透明で素晴らしい。対するソプラノ二人はどうも線が細すぎてマーラーの歌曲には合わない感じだ。寧ろメゾに歌わせても良かった気がする。このコーダに向かう部分の盛り上げはMTTらしい冷静沈着なもので過度な情感を込めていない。スコアに対する透過度は高い演奏と言えよう。
全体を通して透明度の高い澄明な解釈で、時間的揺らぎに殆ど依存しない精緻な演奏だ。因みにこの部分もゲルLSO、ブーレーズ/シュターツカペレ・ベルリンと聴き比べてみた。ゲルは高速で駆け抜けているかと思いきやこの部分の歌わせ方は絶品で、切れのあるアゴーギクを多用しながら劇的なコーダへとひた走っている。ブーレーズの方も意外なほどのアゴーギク、メリハリの効いたパウゼを随所に挿入しながら快調に進み、穏やかではあるが腹の底からこみ上げてくる感動が何とも言えない名演だ。
閑話休題、この余りに清潔すぎるMTTの解釈は好みの別れるところかも知れない。飲み水には適度な鉱物成分が含まれていないと味が全くしないが、そういった超軟水=蒸留水を良しとするか、ある程度のミネラルを含んだ準硬水を良しとするかは個人の好みであるのと同様、このMTT/SFSOのマラ8をどのように解釈して楽しむかもまた賛否が分かれるところだろう。因みに、ソプラノ以外はどのパートをとっても完璧な演奏であり現代マーラーの手本中の手本と言って良い素晴らしい出来映えだ。
最後、遺作#10のアダージオだが、これは出色の演奏であり、もの凄く綺麗だ。#10はチクルスの数合わせのためだけと思われがちなぐらい軽視されているのが現状だと思うのだが、これは渾身の演奏であり瞑想的かつ優美・幽玄な音世界を紡ぎ出しているのだ。
(録音評)
SFS Media(自主制作レーベル)、821936-0021-2、SACDハイブリッド。#10は2006年4月6-8日、#8の方は2008年11月19-23日、いずれもデイヴィス・シンフォニー・ホールでのライブ収録。
録音担当はTritonus Musikproduktion GmbHで、社長であるAndreas Neubronner自らが指揮を執っての録音。音はいつものクォリティであるが、さすがにこの規模の曲になるとデイヴィス・シンフォニーホールの性能限界が見えてしまう。第一部の数カ所のトゥッティでホール空間がサチって(=Satulated:飽和)しまっており著しい混濁が見られる。
これは録音のせいではなく、強烈に持続する直接音とホール残響に壁材が耐え切れなくて共鳴しているような状態と考えられる。事実、都内のサントリー・ホールや芸劇などでもマーラーやラベル、ヴェルディなどの拡張5管編成(+コーラス)でこの様な現象が時折見られるので不自然な事ではない。同じ#8についてはゲルはバービカンを諦めてセント・ポール大聖堂で、ブーレーズは敢えてイエス・キリスト教会でと、エア・マスが十二分に確保出来る巨大な録音場所を選んでいるのにはちゃんとした理由があるのが分かるし、それらを改めて聴き直すとその効果がの実に現れているのだ。しかし、第二部に関してはこれらの問題はなく安心して聴いていられる。
#10の録音は#8の録音よりも遙かに優秀で、こちらの方が本来のTritonus/Neubronnerの音であることに気が付く。このところ#10ばかり聴いている。
1日1回、ここをポチっとクリック ! お願いします。
by primex64
| 2009-09-25 16:24
| Symphony
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Comments(1)
Commented
by
kawazukiyoshi at 2009-09-27 12:13
よくマーラーも聞きます。
ズービン・メータも楽しく聞くときがありますが
あまりにもたくさんの人が取り上げていて
それぞれ面白く聞いています。
私は古典派なのでしょう。
またご意見を聞かせてください。
今日もスマイル
ズービン・メータも楽しく聞くときがありますが
あまりにもたくさんの人が取り上げていて
それぞれ面白く聞いています。
私は古典派なのでしょう。
またご意見を聞かせてください。
今日もスマイル
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