2009年 09月 09日
Bartók, Schumann: Vn Sonatas@Kremer, Argerich - 1 |
EMIの輸入新譜から、ベルリン・リサイタルと銘打ったクレーメル/アルゲリッチの二枚組アルバムで、何故かバルトークとシューマンをフォーカスしている。今日はその一枚目から。
http://www.hmv.co.jp/en/product/detail/3544124
国内盤はこちら↓
Berlin Recital 2006
Gidon Kremer, Martha Argerich
CD1
Schumann: Violin Sonata No. 2, Op. 121
Bartok: Sonata for solo Violin (1944)
Gidon Kremer, violin
Martha Argerich, piano
Live Recording: 12/2006, Philharmonie, Berlin
一見するとシューマンとバルトークには共通するような特徴は見えてこない。衆知のようにシューマンはドイツ・ロマン派の代表的な作家で、豊かで完全和声に基づく作品を多く書いた。一方のバルトークは前述のシューマンのような調和音楽の世界からの脱却を模索していて、傾向としては極端な繊細さまたは散乱性、即ち自身の言葉を借りるならば--複雑さまたは粗野の両極端--であった。
では、この二人の共通点は何か? というと、二人ともピアニスト出身の作曲家であり、そして彼らの得意楽器を中心とした活動領域において多くの成果を出しつつ、他の領域へも野心的に活動範囲を拡大したこと、ありとあらゆる音楽ジャンルを受け入れたこと、二人とも音楽教育に対して強い関心を持っていたこと、そして、二人ともより広汎な文化的領域において音楽の発展に寄与したことである。
シューマンは生涯に渡り明るく色彩感に富んだ、そしてシンプルで美しい旋律・和声を好んだ作家であったが、晩年には精神障害を病んだこともあってか、暗鬱で沈痛な作品が散見される。その中にあってこのVnソナタ2番は取り分け暗い作品だ。ある意味、シューマンが最後に味わった恐怖と狂気がそれまでの曲想に重畳されたと見るべきかも知れない。この影と言うべきか深い襞というべきか、そういった暗部の抉り出しに関してはクレーメルもアルゲリッチも凄いと言わざるを得ない鬼気迫る演奏を展開している。
バルトークの無伴奏Vnソナタはクレーメルにとって初録音だそうだが、以前からずっと聴いたことがある風な錯覚に陥るほどクレーメルの芸風にマッチしている。これは音楽的なデジャ・ブかも知れない。バルトーク自身はバッハ的な対位法の様式美に拘ったという4楽章形式の作品で、ソナタと銘は打っているがインプロンプトゥとスケルツォ集と呼んでも構わないような自由な形式だ。敢えて言うなら一楽章だけに循環旋法が見られ、ちょっとだけ対位法っぽい。浮遊感が身上のこの作品におけるクレーメルのVnは色んな色彩に染まり、音の太さや大きさ、表情が七変化(しちへんげ)するのだ。最終楽章のフラジオレットは鳥肌が立つほど痺れる。
(続く)
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Gidon Kremer, Martha Argerich
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Schumann: Violin Sonata No. 2, Op. 121
Bartok: Sonata for solo Violin (1944)
Gidon Kremer, violin
Martha Argerich, piano
Live Recording: 12/2006, Philharmonie, Berlin
一見するとシューマンとバルトークには共通するような特徴は見えてこない。衆知のようにシューマンはドイツ・ロマン派の代表的な作家で、豊かで完全和声に基づく作品を多く書いた。一方のバルトークは前述のシューマンのような調和音楽の世界からの脱却を模索していて、傾向としては極端な繊細さまたは散乱性、即ち自身の言葉を借りるならば--複雑さまたは粗野の両極端--であった。
では、この二人の共通点は何か? というと、二人ともピアニスト出身の作曲家であり、そして彼らの得意楽器を中心とした活動領域において多くの成果を出しつつ、他の領域へも野心的に活動範囲を拡大したこと、ありとあらゆる音楽ジャンルを受け入れたこと、二人とも音楽教育に対して強い関心を持っていたこと、そして、二人ともより広汎な文化的領域において音楽の発展に寄与したことである。
シューマンは生涯に渡り明るく色彩感に富んだ、そしてシンプルで美しい旋律・和声を好んだ作家であったが、晩年には精神障害を病んだこともあってか、暗鬱で沈痛な作品が散見される。その中にあってこのVnソナタ2番は取り分け暗い作品だ。ある意味、シューマンが最後に味わった恐怖と狂気がそれまでの曲想に重畳されたと見るべきかも知れない。この影と言うべきか深い襞というべきか、そういった暗部の抉り出しに関してはクレーメルもアルゲリッチも凄いと言わざるを得ない鬼気迫る演奏を展開している。
バルトークの無伴奏Vnソナタはクレーメルにとって初録音だそうだが、以前からずっと聴いたことがある風な錯覚に陥るほどクレーメルの芸風にマッチしている。これは音楽的なデジャ・ブかも知れない。バルトーク自身はバッハ的な対位法の様式美に拘ったという4楽章形式の作品で、ソナタと銘は打っているがインプロンプトゥとスケルツォ集と呼んでも構わないような自由な形式だ。敢えて言うなら一楽章だけに循環旋法が見られ、ちょっとだけ対位法っぽい。浮遊感が身上のこの作品におけるクレーメルのVnは色んな色彩に染まり、音の太さや大きさ、表情が七変化(しちへんげ)するのだ。最終楽章のフラジオレットは鳥肌が立つほど痺れる。
(続く)
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by primex64
| 2009-09-09 11:48
| Solo - Vn
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