2009年 08月 17日
Verdi: Messa da Requiem@Sylvain Cambreling/SWR SO. |
ヘンスラーの春の新譜からヴェルディ/レクイエムである。SACDハイブリッド2枚組で余ったところにはハイドンの26番・哀悼と、モーツァルトのキリエ・ニ短調もバンドルされているが音源は以前のもののようでメインディッシュのレクイエムと同様に死者を悼むテーマに基づいた曲を集めたようだ。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3534301
G.Verdi: Messa da Requiem for vocal soloists, Choir and Orchestra
J.Haydn: Symphony No.26 d minor Hob. I:26 (Lamentatione)
W.A.Mozart: Kyrie d minor K 341 K 368a for Choir and Orchestra
SWR Vokalensemble Stuttgart, EuropaChorAkademie
SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg
Sylvain Cambreling(Cond.)
Ana María Martínez(Sop), Yvonne Naef(Mezzo),
Marius Brenciu(Tenor), Georgio Surian(Bass)
ヴェルディのレクイエムは三大レクイエムに数えられるが、実際にはオペラ手法を用いた劇作に近い音楽であり、他の2作品とは対照的な絶叫・劇症型、かつ感情剥き出しのドラマと言える。類似しているといえば、用いているテキストが典礼分・通常文ではないがオルフのカルミナ・ブラーナが上げられようか。この二つの作品の根底に流れるパッションは割と近いものがあると思う。
そんなヴェルディの熱いレクイエムなのだが、ここへ来てこのカンブルラン/SWRの解釈と演奏は新機軸であり、冷静に透徹され過度な脚色を全て取り払った真摯でクールなものだ。感情を迸らせたり感情移入で瞑想的であったりというコテコテの要素は殆ど見られず、激しいヴェルディを期待される向きには肩透かしかも知れない。
しかし、この曲はあくまでも歌唱中心でオケは黒子というスタイルは貫かれておりオーバーダンプ気味にコントロールされたオケは細密にして温度感は低く知的な響きを聴かせてくれる。全てのセクションが巧いが特に金管隊の抑制の効いた精密なビームは素晴らしい。
それでいてソリスト達はいわゆるオペラ然とした歌い方はしておらず冷静に切々とテキストを唱誦して行く。特にソプラノのマルチネスが孤高の境地を演じていて、冷静で細身、かつ凛とした声質である。
極論すればこの曲の半分は前半部のディエズ・イラが占める。そして最後のリベラ・メで感情の頂点を波状的に迎えて終わるという割とシンプルな構成なのだ。しかし、ある意味この演奏はその「ふたこぶ」主義を廃してキリエ、サンクトゥス、アニュス・デイ、ルックス・エテルナにも焦点を当て、克明な描写を行っている。この抉るような細密な解釈は新鮮で初めて聴く曲のような印象を受ける。そういった点では前述の通り新機軸なのだ。
(録音評)
Hänssler Classic、SACD 93.249、SACDハイブリッド2枚組。録音はヴェルディが2008年11月5日、Baden-Baden, Festspielhausでのライブ収録とある。音質は素晴らしいの一言でヘンスラーの面目躍如だ。間違いなく現代最高峰の録音の一つ。但し再生は難しい。まずダイナミックレンジが広すぎて最弱部と最強部との乖離が極めて甚だしい。通常音量で再生すると最弱部の音は潰れて何も聞こえないか分離せずにモゴモゴになってしまうだろう。かといって最弱部に基準をとって音量調整すると強音部では大変なことになってしまう。次に音の種類が非常に多く、直接音のビーム以外にもステージ上のノイズ、消しきれなかった客席のノイズ、複雑な残響、ソリストの息遣いなど音要素がこれでもかと入っている。これが逆に分離の悪い装置だと不快な混濁となってしまうかも知れない。旨く鳴らせばライブらしい素晴らしいサウンドステージが眼前に現れ、ソリスト達が目の前で歌い出す。
因みにCDレイヤーもなかなか優秀で殆ど遜色はないがPCM特有のかっちりとした輪郭が付帯する。どちらを快しとするかは好みの問題だろう。
このハイブリッドはリアルな臨場感を達成しているという点、高度な原音再生を追求しているという点においては現時点で最右翼だ。
(ハイドンとモーツァルトの方はそれ程でもない。以上の評はヴェルディに限る)
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http://www.hmv.co.jp/product/detail/3534301
G.Verdi: Messa da Requiem for vocal soloists, Choir and Orchestra
J.Haydn: Symphony No.26 d minor Hob. I:26 (Lamentatione)
W.A.Mozart: Kyrie d minor K 341 K 368a for Choir and Orchestra
SWR Vokalensemble Stuttgart, EuropaChorAkademie
SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg
Sylvain Cambreling(Cond.)
Ana María Martínez(Sop), Yvonne Naef(Mezzo),
Marius Brenciu(Tenor), Georgio Surian(Bass)
ヴェルディのレクイエムは三大レクイエムに数えられるが、実際にはオペラ手法を用いた劇作に近い音楽であり、他の2作品とは対照的な絶叫・劇症型、かつ感情剥き出しのドラマと言える。類似しているといえば、用いているテキストが典礼分・通常文ではないがオルフのカルミナ・ブラーナが上げられようか。この二つの作品の根底に流れるパッションは割と近いものがあると思う。
そんなヴェルディの熱いレクイエムなのだが、ここへ来てこのカンブルラン/SWRの解釈と演奏は新機軸であり、冷静に透徹され過度な脚色を全て取り払った真摯でクールなものだ。感情を迸らせたり感情移入で瞑想的であったりというコテコテの要素は殆ど見られず、激しいヴェルディを期待される向きには肩透かしかも知れない。
しかし、この曲はあくまでも歌唱中心でオケは黒子というスタイルは貫かれておりオーバーダンプ気味にコントロールされたオケは細密にして温度感は低く知的な響きを聴かせてくれる。全てのセクションが巧いが特に金管隊の抑制の効いた精密なビームは素晴らしい。
それでいてソリスト達はいわゆるオペラ然とした歌い方はしておらず冷静に切々とテキストを唱誦して行く。特にソプラノのマルチネスが孤高の境地を演じていて、冷静で細身、かつ凛とした声質である。
極論すればこの曲の半分は前半部のディエズ・イラが占める。そして最後のリベラ・メで感情の頂点を波状的に迎えて終わるという割とシンプルな構成なのだ。しかし、ある意味この演奏はその「ふたこぶ」主義を廃してキリエ、サンクトゥス、アニュス・デイ、ルックス・エテルナにも焦点を当て、克明な描写を行っている。この抉るような細密な解釈は新鮮で初めて聴く曲のような印象を受ける。そういった点では前述の通り新機軸なのだ。
(録音評)
Hänssler Classic、SACD 93.249、SACDハイブリッド2枚組。録音はヴェルディが2008年11月5日、Baden-Baden, Festspielhausでのライブ収録とある。音質は素晴らしいの一言でヘンスラーの面目躍如だ。間違いなく現代最高峰の録音の一つ。但し再生は難しい。まずダイナミックレンジが広すぎて最弱部と最強部との乖離が極めて甚だしい。通常音量で再生すると最弱部の音は潰れて何も聞こえないか分離せずにモゴモゴになってしまうだろう。かといって最弱部に基準をとって音量調整すると強音部では大変なことになってしまう。次に音の種類が非常に多く、直接音のビーム以外にもステージ上のノイズ、消しきれなかった客席のノイズ、複雑な残響、ソリストの息遣いなど音要素がこれでもかと入っている。これが逆に分離の悪い装置だと不快な混濁となってしまうかも知れない。旨く鳴らせばライブらしい素晴らしいサウンドステージが眼前に現れ、ソリスト達が目の前で歌い出す。
因みにCDレイヤーもなかなか優秀で殆ど遜色はないがPCM特有のかっちりとした輪郭が付帯する。どちらを快しとするかは好みの問題だろう。
このハイブリッドはリアルな臨場感を達成しているという点、高度な原音再生を追求しているという点においては現時点で最右翼だ。
(ハイドンとモーツァルトの方はそれ程でもない。以上の評はヴェルディに限る)
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by primex64
| 2009-08-17 11:17
| Orchestral
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