2009年 05月 26日
J.S.Bach: Sonatas & Partitas BWV1001-1006@Viktoria Mullova - 2 |
昨日に引き続きムローヴァの無伴奏ソナタ&パルティータの後半で2枚目。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3542526
< CD 2 >
Partita No. 2 in D minor BWV1004
1 I Allemanda
2 II Corrente
3 III Sarabanda
4 IV Giga
5 V Ciaconna
Sonata No. 3 in C major BWV1005
6 I Adagio
7 II Fuga
8 III Largo
9 IV Allegro assai
Partita No. 3 in E major BWV 1006
10 I Preludio
11 II Loure
12 III Gavotte en Rondeau
13 IV Menuet I
14 V Menuet II
15 VI Bourrée
16 VII Gigue
Viktoria Mullova(Vn)
Violin: 1750 G.B.Guadagnini, gut strings, A=415
Bow: Baroque bow by Walter Barbiero
ムローヴァは現在ではバロック期の音楽へと軸足を移してしまい、従来から得意として来たポスト・バロック=古典派、ロマン派には興味が失せたかの雰囲気だ。
彼女をそうさせた転機は幾つかあったようだがライナーにはそのエピソードが少し語られている。パリのある演奏会のリハーサルで若いファゴット奏者であるマルコ・ポスティンゲル(Marco Postinghel)に出会い、彼からアーリー・ミュージック(=バロックやルネサンス期の音楽のこと)についての話しを聞いたそうだ。それは今までムローヴァが聞いたこともなければ想像もしていなかった事柄だったようだ。最終的にこの出会いがムローヴァを素晴らしくも求道的なバロック探求の旅へと導く契機となったのだ、と述懐している。
具体的にどんな話しだったのかは勿論、詳しくは書かれていないが、それはハーモニック・インパルス、アーティキュレーション、和声、対位法などの複数の要素の全てが相互結合(Interconnected)された状態を維持していくというものだったらしい。マルコは非常に熱心にそれらの技巧について説明し、ムローヴァはその精神に取り憑かれたようだ。そして自分は芸術家(artist)としての準備と演奏家(instrumentalist)としての準備を今までは均等に行ってこなかったことに気付いたという。そして即座にバッハCem&Vnソナタの録音スケジュールをキャンセルして籠もり、それらの勉強と練習を始めたと書いてある。
そしてその数年後に満を持して世に出したのが前作だったという訳だ。ずっと以前の自分のバッハ録音を聴くことがあるという。するとここ数年のうちに自分に起きた大きな変身ぶりを確認させられて驚くという。その古い録音にはヴァイオリニストが登場するが音楽家は出て来ないのだそうだ。なんともはや禅問答のような記述だ・・。
BWV1004のシャコンヌはこの曲全体の約半分を占める長大な変形3部形式の楽章で、バッハの心理的暗部を克明に描いた大曲だ。ムローヴァの弓は非常に軽やかで高速なのだが紡ぎ出される旋律と和声は重く仄暗い。しかしノイズや深いアゴーギクに頼る音作りではなく精密なダブルストップと驚くほど持久的なボウイングによりそれらを表現しているのだ。
BWV1005では何と言っても2楽章の長大なフーガが圧巻。複数旋律が複雑な襞を成すフーガをVnただ一挺で完璧に弾くことが可能であることを示す確かな証左がここにある。対位法をここまで完全に再現した無伴奏Vn演奏はひょっとすると空前絶後かも知れない。少なくとも私はこんな演奏は聴いたことはない。ムローヴァの弦捌きを聴いているとまるでオルガンで弾かれているフーガと錯覚するくらいに音の数が膨大なのである。曲の形態は無伴奏だが、実はムローヴァ自身が一人で伴奏を付けつつ、主旋律も対旋律も同時にタイムシェアリングして弾いていると言えるのだ。
最後のパルティータ3番は言うまでもなく素晴らしい。余りにも著名な3楽章ガヴォットのなんと優雅で流麗で美しいことだろう。ヴィヴィッドで可憐、かつ逞しく、非常に多彩な表情を見せるガヴォットだ。これをハーモニック・インパルスと呼ぶのであろうか・・。また、ダブルストップは異音和声の同時擦弦だけではなく同音の同時擦弦にも使われることを大いに知らされるのだ。異なった弦で同じ高さの音を同時に出す=即ちユニゾンを使ってレンジとスケール感を大いに拡げている。これまた音の数が多い演奏で、前述のマルコの話しに込められたポリシーがなんとなく透けてくる。
(録音評)
ONYX Classicsレーベル、ONYX 4040、通常CD。録音は2007年3月18~19日、2008年10月20~22日、イタリアのBolzano(ボルツァーノ)とある。エグゼクティブ・プロデューサーはムローヴァ自身とONYX側はPaul Moseley、プロデューサーはムローヴァにインスパイアを与えたというMarco Postinghel(マルコ・ポスティンゲル)が務める。
音質は前作によく似た傾向の割と辛口の高解像度系だ。Vnの定位は揺るぎなく安定で結像は割と小さい。残響は自然で豊かなためキリキリと張り詰めたような隈取りのVnではない。またこの1750年製のG.B.ガダニーニにはガット弦を張っているためか割と太く刺激の少ない音色傾向だ。全体としてみれば大人の調音と言える。この盤の場合、音質云々というよりも価値ある演奏そのものを余すところなく味わいたいものだ。
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http://www.hmv.co.jp/product/detail/3542526
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Partita No. 2 in D minor BWV1004
1 I Allemanda
2 II Corrente
3 III Sarabanda
4 IV Giga
5 V Ciaconna
Sonata No. 3 in C major BWV1005
6 I Adagio
7 II Fuga
8 III Largo
9 IV Allegro assai
Partita No. 3 in E major BWV 1006
10 I Preludio
11 II Loure
12 III Gavotte en Rondeau
13 IV Menuet I
14 V Menuet II
15 VI Bourrée
16 VII Gigue
Viktoria Mullova(Vn)
Violin: 1750 G.B.Guadagnini, gut strings, A=415
Bow: Baroque bow by Walter Barbiero
ムローヴァは現在ではバロック期の音楽へと軸足を移してしまい、従来から得意として来たポスト・バロック=古典派、ロマン派には興味が失せたかの雰囲気だ。
彼女をそうさせた転機は幾つかあったようだがライナーにはそのエピソードが少し語られている。パリのある演奏会のリハーサルで若いファゴット奏者であるマルコ・ポスティンゲル(Marco Postinghel)に出会い、彼からアーリー・ミュージック(=バロックやルネサンス期の音楽のこと)についての話しを聞いたそうだ。それは今までムローヴァが聞いたこともなければ想像もしていなかった事柄だったようだ。最終的にこの出会いがムローヴァを素晴らしくも求道的なバロック探求の旅へと導く契機となったのだ、と述懐している。
具体的にどんな話しだったのかは勿論、詳しくは書かれていないが、それはハーモニック・インパルス、アーティキュレーション、和声、対位法などの複数の要素の全てが相互結合(Interconnected)された状態を維持していくというものだったらしい。マルコは非常に熱心にそれらの技巧について説明し、ムローヴァはその精神に取り憑かれたようだ。そして自分は芸術家(artist)としての準備と演奏家(instrumentalist)としての準備を今までは均等に行ってこなかったことに気付いたという。そして即座にバッハCem&Vnソナタの録音スケジュールをキャンセルして籠もり、それらの勉強と練習を始めたと書いてある。
そしてその数年後に満を持して世に出したのが前作だったという訳だ。ずっと以前の自分のバッハ録音を聴くことがあるという。するとここ数年のうちに自分に起きた大きな変身ぶりを確認させられて驚くという。その古い録音にはヴァイオリニストが登場するが音楽家は出て来ないのだそうだ。なんともはや禅問答のような記述だ・・。
BWV1004のシャコンヌはこの曲全体の約半分を占める長大な変形3部形式の楽章で、バッハの心理的暗部を克明に描いた大曲だ。ムローヴァの弓は非常に軽やかで高速なのだが紡ぎ出される旋律と和声は重く仄暗い。しかしノイズや深いアゴーギクに頼る音作りではなく精密なダブルストップと驚くほど持久的なボウイングによりそれらを表現しているのだ。
BWV1005では何と言っても2楽章の長大なフーガが圧巻。複数旋律が複雑な襞を成すフーガをVnただ一挺で完璧に弾くことが可能であることを示す確かな証左がここにある。対位法をここまで完全に再現した無伴奏Vn演奏はひょっとすると空前絶後かも知れない。少なくとも私はこんな演奏は聴いたことはない。ムローヴァの弦捌きを聴いているとまるでオルガンで弾かれているフーガと錯覚するくらいに音の数が膨大なのである。曲の形態は無伴奏だが、実はムローヴァ自身が一人で伴奏を付けつつ、主旋律も対旋律も同時にタイムシェアリングして弾いていると言えるのだ。
最後のパルティータ3番は言うまでもなく素晴らしい。余りにも著名な3楽章ガヴォットのなんと優雅で流麗で美しいことだろう。ヴィヴィッドで可憐、かつ逞しく、非常に多彩な表情を見せるガヴォットだ。これをハーモニック・インパルスと呼ぶのであろうか・・。また、ダブルストップは異音和声の同時擦弦だけではなく同音の同時擦弦にも使われることを大いに知らされるのだ。異なった弦で同じ高さの音を同時に出す=即ちユニゾンを使ってレンジとスケール感を大いに拡げている。これまた音の数が多い演奏で、前述のマルコの話しに込められたポリシーがなんとなく透けてくる。
(録音評)
ONYX Classicsレーベル、ONYX 4040、通常CD。録音は2007年3月18~19日、2008年10月20~22日、イタリアのBolzano(ボルツァーノ)とある。エグゼクティブ・プロデューサーはムローヴァ自身とONYX側はPaul Moseley、プロデューサーはムローヴァにインスパイアを与えたというMarco Postinghel(マルコ・ポスティンゲル)が務める。
音質は前作によく似た傾向の割と辛口の高解像度系だ。Vnの定位は揺るぎなく安定で結像は割と小さい。残響は自然で豊かなためキリキリと張り詰めたような隈取りのVnではない。またこの1750年製のG.B.ガダニーニにはガット弦を張っているためか割と太く刺激の少ない音色傾向だ。全体としてみれば大人の調音と言える。この盤の場合、音質云々というよりも価値ある演奏そのものを余すところなく味わいたいものだ。
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by primex64
| 2009-05-26 11:24
| Solo - Vn
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