馬車道というのは馬車が通る道路という意味だ。なので馬車道ストリートと書くとおかしな表記ということになる。馬から落ちて落馬して、ピーコ頭痛が痛いの、の類(たぐい)、つまり重言だ。
そんな与太話はどうでもいい。伊勢佐木町の商店街=イセザキモールから東進して吉田橋関門を隔てた海側の区域を、横浜に住む人たちは馬車道と慣例的に呼ぶ。しかし行政区画の住居表示にはその名称は存在しない。本来の馬車道は通り(Street)の名称であって、これはあくまで俗称。歴史的にも文化的にもあまりに著名なので以下に少しだけ書いて、あとは風景写真を貼っておく。
横浜に越して来た時には戸惑ったが、昨今この伊勢佐木町だとか馬車道だとかという街区の名称には慣れ親しんでいる。ちょっと余計な解説をするなら以下のように出来る。
イセザキモールに沿う長い通りの左右のいくつかのブロックは伊勢佐木町と呼ぶ。そして、上述の吉田橋関門=分かりやすくいうとJR根岸線のガードを東に向かってくぐると馬車道エリアに入り、その更に東側を海に向かって進む道路=馬車道の左右の数ブロックの範囲を
馬車道の町と称するのだ。
このルールに従えば、今はフォークソングの大スターとして成功している
ゆずが毎夜のようにライブで歌っていた旧・松坂屋の跡に建つカトレアプラザ、横浜の代表的書店=有隣堂本店は伊勢佐木町だ。そして著名な演歌歌手たちや、かつてのJ-POPの女王=八神純子が頻繁に歌いに来ている関内ホール、横浜正金銀行本店=現在の歴史博物館(冒頭に示した立派な建物の写真を参照)は馬車道エリアに属するのだ。
では、それ以外の街区は何と称するかというと、これはおしなべて
関内と称するのだ。例えば、横浜スタジアム、横浜市庁舎や県庁、文化体育館、教育文化会館などは
関内なのである。それで食べ歩きの記録を書く際、@(アットマーク)の右側をどうするかが悩ましいことが多々ある。なお、この関内も住居表示としては存在せず、吉田橋を隔ててかつての外国人居留地が関所の内側にあったことを証する俗称なのだ。
※以上は過去画像から(2018年2~3月)
※撮影地: 横浜市中区(住吉町、相生町、太田町、弁天通、本町)
今日の一曲
シューマンのピアノコンチェルト。彼が生涯で1つだけ完成させた名作。実はPコンのモチーフと構想はかなり前から描いており、実際には試作や習作は多く書いてはいたが、それらは未完のスケッチで終わっている。完成にまで漕ぎ付けたこの作品だが、勇猛にして憂愁に満ちた旋律と理性的で完璧な純音に近い和声による伴奏部はどうだろうか。名演・名録音が多いなか、今回はグリモーの硬質で竹を割ったような演奏をあげておく。
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