Shostakovich: Sym#5,6@Barshai WDR |
今日は問題のこれ。
交響曲第5番ニ短調 作品47
交響曲第6番ロ短調 作品54
(5と6もカップリングだが、やはり主に5番について書く)
いや、別に問題というわけではないが、ショスタコといえばこれ、同じ5番といえばマーラーやベートーヴェンも有名だが、これもまた演奏機会が非常に多く、殆ど全ての有名無名指揮者・オケが録音しているだろう。初演を務めたムラヴィンスキー、それと例によってコンドラシンの古いLPが白眉と言われて久しい。
この曲をショスタコ交響曲の最高峰に挙げる人は非常に多いだろうし、録音のリリース数がそれを証明していると思う。他にも13番、10番、8番を挙げる人も多い。個人的には11番が心耳にモチーフとして響き続けているのだが・・。
閑話休題、この5番だが、2~4番で辟易していた前衛性が止み、とてもオーソドックスな4楽章形式のシンフォニーに戻るのである。1番の後では初めての教科書的作品といって良い。
一楽章は1番以来、久しぶりのソナタ形式で、重厚で本格的なスタイルをしている。二楽章は変形三部形式と言って良いだろう。三楽章はソナチネのようにも感じるが明らかな展開部が見られず、第二主題らしきものが現れるが、どうもこれも第一主題の展開というか変形なので既存の形式ではない。四楽章は所々展開される主題のモチーフが出て来る気がするがこれも気のせい。
短い主題とその巧みな展開部、再現部により聴くものを飽きさせない。オーケストレーションも見事で現代器楽配置を最大限に活かした音響効果は抜群だ。
テーマ性が素晴らしく、体力のあったソ連スターリン時代の暗黒の闇と共産主義黎明への期待が鮮やかに模写されており、その分かりやすさは極上である。世界中で愛聴される所以だろう。
6番だが、大作である5と7の端境期の作品といって良い。別に変な曲ではないが起伏が殆ど無くて器楽編成も小さいイメージ(実際はフルオケだが、威力を発揮するほどダイナミックレンジを使い切っていない)なので室内交響曲に焼き直してもそれと分からないくらいだろう。もしくは弦楽四重奏やその他の編曲でも十分にカバーできる平坦さだ。まぁ、良い意味でサロン的、意地悪く言えばチャイ1のようなメインディッシュを取れない曲だろう。
1日1回、ポチっとクリック ! お願いします。