SL聴き比べ:Mozart: Rond A min. K511 |
SLの比較試聴最終回となる。
モーツァルト ヴォルフガング・アマデウス Mozart Wolfgang Amadeus 1756~1791
ロンド イ短調 / Rondo in A min. K.511
ピアノ: アラウ、内田光子
これまた哀愁漂う物憂げな、6/8拍子の旋律だ。ロンドは日本では輪舞曲と書くこともあるが余り一般的ではない。この8小節の主題を中心に副主題が代わる代わる現れては立ち去るというのがロンド形式なのだ(例えば A-B-A-C-A-B-A )。
しかし、聴き比べを通して内田光子の登場が異常に多いと言うことに気が付いた。それだけポピュラーで最大公約数的な曲目を取り上げていたということか?
この二人のロンドは、今までの聴き比べで観察された特徴がそのまま出ていると言って良い。と、言えばそれで終わりなのだが・・・。
内田の解釈は例によって静謐でエモーショナル、ふくよかで聴きやすいものだ。主題を少し強め、そして副主題を弱めという風に、・・・つまりスフォルツァンド・ディミネンド・・・で弾いていて飽きさせないものがあり、最後まで一気に聴き入るという感じだ。
アラウは不思議なことにデュナーミクを殆ど使っていない。ピアノという楽器の最たる武器である音の強弱を殆ど付けていない。曲想上の強弱はテンポ・ルバートによってのみ表現しているようだ。即ち、強調したい音符の一つ前の音符にフェルマータを掛けて一呼吸人工的な休符を開けて強調する。逆に弱めたい音符は指定テンポより僅かに早く弾き抜けるのだ。これはチェンバロの技法と全く同じだ。バッハの平均律クラヴィーア曲集や諸国組曲に普通に見られる古典的な技法といって良い。
モーツァルトの生きた頃は時代考証的にはチェンバロからフォルテピアノ(現代ピアノの直接の祖先)普及への変遷期であったとされる。従ってモーツァルトの書いた多くのピアノ(正しくはクラヴィーア)曲はチェンバロを前提にしていた可能性が大きいのだ。既に故人となったアラウがそれを意識したのかどうかは闇の中だが、晩年はバッハのパルティータなどを熱心に研究していたようだ。
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