Steinway Legends: Ashkenazy |
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モーツァルト:ピアノ・ソナタ ニ長調 K448
ショパン:前奏曲 嬰ハ短調 作品45
ショパン:マズルカ 37番 変イ長調 作品59-2
ショパン:スケルツォ 第4番 ホ長調 作品54
チャイコフスキー:ドゥムカ ハ短調 作品59
スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第5番 嬰ヘ長調 作品53
ラフマニノフ:絵画的練習曲 第1番、第2番、第5番
直前に聴いていたポリーニの印象が鮮烈すぎて、アシュケナージの演奏は実に滑らかで静かだ。ポリーニは確かに剛直だがこの落差は結構激しいものがある。K.338は非常に優美で耳障りの良いモーツァルトであり好印象。昨日のベートーヴェンとは楽器が違うのでは? と思うほど違う。
今更だがアシュケナージはモーツァルトが上手だということが分かった。積極的に録音を展開したという記憶はないが、とても優しくリリカル、飽きの来ない緩やかな起伏はモデラートでありながら十二分に楽しめる演奏だ。
マズルカ37番Op.59は初CD化された音源だそうだ。なるほどマズルカ集には入っていない。どこに残っていたものだろう? 憂愁に満ちた素晴らしい演奏で、アシュケナージにしてはアゴーギグが強めに掛けられており、いわゆる舞踏的な薫りが充満している。
この盤の注目はチャイコのドゥムカだと思う。ドゥムカとは哀歌とも訳され、18世紀にポーランドで起こった叙事詩による民謡の形式。
以下、Webの某サイトから引用:
ロシアの農民風景、と副題がつけられたこの作品は、フランスのピアニスト、A.F.マルモンテルの依頼により1886年2月27日から着手し、作曲に少し苦心したようですが3月6日に作曲を終えました。チャイコフスキーはこの頃クリン郊外のマイダノヴォにようやく腰を落ち着け、前年9月に着手したオペラ『魔女』の第2幕を完成し、第3幕の作曲にとりかかろうとしていました。
初演はチャイコフスキーの死の直後の1893年12月3日、ペテルブルグにおいてチャイコフスキー追悼演奏会でF.M.ブルーメンフェルトのピアノ演奏により行われました。
ドゥムカは、ゆっくりしたテンポの悲痛な楽想の部分と、激情的で華麗なピアノ効果をみせる速い部分とで構成されています。なお、この作品は作曲を依頼したマルモンテルに献呈されています。楽譜は1886年、ユルゲンソン社から出版されました。
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この解説通りの演奏をアシュケナージが眼前で展開するわけだが、ピアノの音色が軽くまろび出るように可憐で美しい。音の軽さと明るさはチェンバロではなかろうか? と思うほどブリリアンスに満ちている。哀しみの中に堂々とした気品を漂わせる佳作だ。アシュケナージに弾かせるロシア・北欧作品はやはり特別の味わいを醸している。
アシュケナージの2枚目から。
ベートーヴェン:ピアノソナタ 第30番 ホ長調 作品109
シューベルト: ピアノソナタ 第17番 ニ長調 D850
プロコフィエフ:ロメオとジュリエットOp.75、10の小品より「別れの前のロメオとジュリエット」、「仮面」
タネーエフ:プレルードとフーガ 嬰ト短調 作品29
ベートーヴェンは上手い、というか瞑想的かつ時に激烈なベートーヴェンを破綻なく楽しむ分には非常に合っている。激情に任せた破綻気味でエモーショナルな演奏を敢えて好むファンは別として・・(そういった向きにはアルゲリッチの若年期の録音をお勧めする)。
このアシュケナージの芸風は強打のポリーニとは正反対で、全体の音量をごく小さいところにセットした上で、時折訪れる強奏部を僅かに際立たせるという静かで瞑想的な構成なのだ。
シューベルトのソナタ17番は初のCD化音源だそうだ。自分自身この曲は初めて聞いたと思う。なんとも平和で天国的で、メロディーラインからは最初ハイドンかヘンデルか誰かその辺の人の作品だと思った。なんとも表しようがないが、まぁ清潔で上手い演奏。
プロコのロミジュリの原典はご存知バレエ音楽であってオケ用に書かれたドラマティックな曲なのだが、いかんせん長すぎて演奏会やCD録音で原典がそのまま演奏されることはなく、演奏会用組曲(趣に応じて第一組曲から第三組曲まで存在する)という作曲者自身が書いた抜粋版が演奏される。
このCDに収録されているのは更にこの三つの組曲から更に抜粋したもので、10の小品と題し作曲者自身がピアノ独奏用に編曲した10曲のうち二つだ。「別れの~」は、恐らく第二組曲の5番を調性を変えてアレンジしたもの、「仮面」は第一組曲の5番そのものだろう。
この演奏はちょっと賛否が分かれるところ。アシュケナージのモデレートな解釈は大人しすぎる感がある。こういったオケからの編曲ものはポリーニやホロヴィッツの展開する高密度なオーケストラ模写パターンが得意とする領域だが、アシュケナージはオケ版とは全く別の、いわばピアノならではの離散的かつ詩的な境地を切り拓いているというのもまた事実だ。
(録音評)
DECCA/LONDONの制作で、DGの美しさとはまた趣の違うスタインウェイである。録音自体は地味でストレートな味わいだ。定位は小さく音源も綺麗に一箇所から飛散してくる。胴鳴りも過度に肥大化することなく実像感のあるもので、全体としては秀逸な録音と言えるし、またこのうち数曲は、私の所蔵する初盤と比較するとリマスターによりS/N感が更に向上している。
この二枚を通じ、他の一般的なピアノ録音とは違う一種独特の軽やかさを感じたが、それは調律の妙により混変調を高域に織り交ぜて煌びやかな成分を混合した為と思っていた。
しかし、ダンパーやハンマーが動作するときのアクション・ノイズ、サスティンが外れる時のフェルトの音の性質から判断するに製作年代がかなり古い、ヴィンテージもののスタインウェイを使ったのであろう。特に1枚目のドゥムカ、二枚目のベートーヴェン、プロコがその傾向が強い。
同じスタインウェイでも録音や演奏者、使用楽器により趣が全く異なるのはちょっと驚きだ。どれも優劣は付けられないのだが・・。これらの違いを克明に描き分ける装置で聴くには大いなる楽しみが得られるアルバム群である。
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