Rachmaninoff: Vespers@Robert Shaw Festival Chorus |
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ラフマニノフ 晩祷 Op.37
ロバート・ショウ指揮/ロバート・ショウ・フェスティバル合唱団
もうとっくに廃盤かと思ったらまだ売っているようだ。買うなら今のうちかもしれない。
昔は「晩祷」と言っていたが、本当は「徹夜祷」が正しい翻訳らしい。まぁ、どちらでも良いのだが夜に聴く音楽であることには違いがなさそう。混声4部合唱以外の音源は一切入っていない完全なアカペラである。
ウィキペディアから概要を抜粋:
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合唱曲でロシア正教会のための典礼音楽である。この作品は1915年初頭に、2週間たらずで書き上げられ、同年3月にモスクワで初演された。評論家からも聴衆からも温かく迎えられ、月に5回以上も再演されるほどの成功を収めた。ラフマニノフ自身にとっても、合唱交響曲《鐘》と並ぶ会心の作であり、第5曲を自分自身の葬儀に用いるように要望している。《聖金口イオアン聖体礼儀》作品31とともに、ラフマニノフの宗教曲の双璧をなすことで有名だが、ラフマニノフは早くに教会通いを止めていた。
1915年という時期は、ロシア時代のラフマニノフの創作活動の絶頂期に当たり、その時期にラフマニノフが宗教音楽に挑戦し、みごとに名作を実らせたことは、さまざまな意味において象徴的である。
もともとラフマニノフは、有名な《前奏曲嬰ハ短調》作品3-2や《ピアノ協奏曲 第2番》においてロシア正教会の鐘の音を模倣したり、《ピアノ協奏曲 第3番》の開始楽章の第1主題にロシア正教の聖歌といわれる旋律を利用するなど、ロシア民族の象徴として、ロシア正教会に言及する傾向を持っていた。これは、しばしば「チャイコフスキーの後塵を拝しているにすぎない」と言われてきたラフマニノフの、チャイコフスキーとの重要な相違点である。正教会との精神的な結びつきは、ラフマニノフがチャイコフスキーよりむしろ「ロシア五人組」(とりわけムソルグスキー)に近い面をもっていたことを示している。
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時に調性が突然、増4度に遷移したり、途中で拍子がはっきりせず自由拍子に近い旋律(唄い方)で長いフェルマータに入ったりする非常に瞑想的、かつ幻想的な曲である。現世の旋律とは思えない不世出のこの音楽は、まさに神の領域に入り掛かっているとさえ感じられるほどの美しさ、哀しさ、荘厳さだ。
祷(いの)りとはこういう表現方法もあったのか? と思わされるこの偉大な曲は、一日の終わり、特に良くないことがあった日の就寝前に静かに心を整頓する背景音楽として私を永らく癒してくれてきた。これからもそういった関係が永く続くと思う。私自身の葬儀には出来れば1~6トラックをリピートで掛けて欲しいと思う。
(録音評)
TELARCレーベル(CD-80172)1989年録音、サウンドストリーム社16bit/50KHz・Fsのデジタルレコーダーによるライブ収録。
実は、この録音は同一内容で高音質LP(溝のピッチが1.5倍)で限定発売されていて、それも一時持っていた(LPは全て廃棄したため今はない)。このLPは音が良く、とても自然なホールエコーが心地よく、またロバート・ショウ・フェスティバル合唱団の伸びやかな声が荘厳に、そして豊かに響き渡る素晴らしい出来の盤であった。
その頃持っていたCDPではこのCDは上手く掛からなかった。非常に小さな音量が大部分を占めるアカペラの合唱曲なのだが微小音量時の量子化ノイズが酷くジリジリというのだ。また、フォルティシモでは破綻して煩くなってしまい豊かなホールエコーが台無しとなる。
それでこの晩祷を含む数枚のCDを持参してのCDP探しをしていたのだがなかなかうまくかかるCDPが見つからずにいた。高価なCDP/DACも試聴した。その中で当時話題のディジマスタ搭載Wadia2000デコーディング・コンピュータでも満足な結果は得られない。ホールが狭く声が不自然に固くて粗いのだ。
そうこうしているうちに見つかったのが新発売直後のDP-70Vであった。この機械は音は良いが超高価であったDP-80L/DC-81Lのワンボディ化廉価版製品であり、音質・性能とも上位機に近い物であり、このCDを非常に上質に再生することが出来た。
以来、DP-70Vが我が家に棲み付き、今日にまで至っている。因みに、晩祷が満足にCDで聴けることが判明したため、この際LPに見切りを付けて全て廃棄することを決断した。
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