Stravinsky Pétrouchka@Boulez, Cleveland O |
昨晩聴いたのはこれ。正確にはこれは再販版であり、私が持っているのは10年以上前に買った初版の方・・・
http://www.hmv.co.jp/product/detail/141341
(国内盤はこちら↓)
前半がペトルーシュカで後半が春の祭典と、豪華カップリングである。今日は前半について・・。
ウィキペディアのペトルーシュカに関する作品紹介は何故か妙に詳しいぞ。
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『ペトルーシュカ』(露語:Петрушка、仏語:Pétrouchka)は、ストラヴィンスキーの三大バレエ音楽の一つ。おがくずの体を持つわら人形の物語で、主人公のパペットは命を吹き込まれて恋を知る。ペトルーシュカは、いわばロシア版のピノキオであり、悲劇的なことに、正真正銘の人間ではないにもかかわらず真の情熱を感じており、そのために(決して実現しないにもかかわらず)人間に憧れている。ペトルーシュカは時おり引き攣ったようにぎこちなく動き、人形の体の中に閉じ込められた苦しみの感情を伝えている。
ディアギレフのロシア・バレエ団のために、1910年から1911年にかけて冬に作曲され、1911年6月13日にパリのシャトレー座で初演された。公演はおおむね成功したが、少なからぬ聴衆は、ドライで痛烈で、時にグロテスクでさえあるこの音楽に面喰らった。ある評論家は、本稽古の後でディアギレフに詰め寄って、「招待されてこんなものを聞かされるとはね」と言ったところ、ディアギレフはすぐさま「ご生憎様でした」と言い返した。1913年にディアギレフとロシア・バレエ団がウィーンを訪れた際、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は、当初《ペトルーシュカ》を上演することを渋って、この楽曲を「いかがわしい音楽“schmutzige Musik”」と呼んだ。
音楽は、いわゆる「ペトルーシュカ和音」が特徴的であり、複調性によってタイトルロールの登場を予告する。
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だそうである。
とにかく静寂と抑揚、明と暗、緩と速が入り乱れながらも不思議な調和を見せながら進行する”不気味”な組曲だ。ストラヴィンスキーの特徴である割と分かりやすいストレートでダイナミックな表現ではなく、ペトルーシュカの全体を支配するのは暗めの鬱屈した表現。このバレエは見たことがないが、情景描写や登場人物の登壇や降壇に合わせた擬音、擬態音と思われる節回しが随所に入っていて、それも色んな楽器が担当するようになっている。ホルンであったりクラリネットであったり、また珍しいコントラバスファゴットやバスクラリネットであったりミュート付きトランペットだったり・・・、それはそれで滑稽さも誘い聴いていて楽しい、というか仄暗く可笑しいものだ。特に曲間のモチーフともなっている「テケテケテケテケ・・」というスネアの外れた小太鼓が耳に付く。
一番好きなのは「乳母の踊り」で、ここはストラヴィンスキー本来の旋律の吹っ切れたような飛翔が心地よい。大地を飛び立って街を俯瞰しながら風と雲と青空に同化しながら疾駆する自分を想像してしまう(^_^)。後半はアジア系というかチャイナムードが混じったような妖艶で退廃的な旋律も顔を覗かせつつ謎めいたエンディングとなる。ストン! と終わる感じ・・。ブーレーズのタクトは例によって遊びがない。時間軸方向にもpf方向へもぶれない。手許に割と最近のエフゲニー・スヴェトラーノフ盤もあるが、ダルでいけないな~。古くてもブーレーズかな? 妙ちくりんなことにここで取り上げるCDは殆どがブーレーズのもの、しかもかなり古い録音なのであった。この傾向はまだ続くかな~?
このCDの後半は、ドロドロの不協和音で有名な「春の祭典」。例によってウィキペディアの解説を拝借する(長いので抜粋)。
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春の祭典 (はるのさいてん、Le Sacre du Printemps)はロシアの作曲家、イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲したバレエ組曲。1913年に完成し、1921年、1947年に改訂された(管弦楽の縮小が中心)。
この作品の初演は1913年5月29日にパリのシャンゼリゼ劇場でバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の公演として行われた。振付はヴァーツラフ・ニジンスキー、オーケストラの指揮はピエール・モントゥーであった。
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後に作曲家ピエール・ブーレーズは、この作品の斬新な作曲技法を解明するとともに、自ら演奏・録音を行いこの曲の解釈に一石を投じた。
ニジンスキー以降、レオニード・マシーン、モーリス・ベジャールなどの振付師による振付が知られてきた。一方、ニジンスキーによる初演の振付は、彼が結婚してバレエ・リュスを解雇されたためにわずか8日間しか上演されず、その後は完全に忘れ去られていた。1979年から8年かけて舞踏史学者のミリセント・ホドソンとケネス・アーチャー夫妻によって、現存していた資料やランベルクなど関係者の証言などから復元され、1987年についに復活上演された。現在ではパリ・オペラ座の定番となっている。
(曲の内容)
春を迎えたある二つの村同士の対立とその終息、大地の礼賛と太陽神イアリロの怒り、そしてイアリロへの生贄として一人の乙女が選ばれて生贄の踊りを踊った末に息絶え、長老たちによって捧げられる、という筋である。
場所などの具体的な設定は無く、名前があるのは太陽神イアリロのみである。ちなみに、キリスト教化される以前のロシアの異教徒たちの世界が根底にあるといわれる。
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(後略)
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この曲は不思議なことに旋律というものが余り耳に入ってこない。旋律は勿論あるのだがそれを強烈にマスキングするリズム、主旋律を覆い隠す不協和音による対旋律と頻繁に挟み込まれる異音とパーカッションの炸裂音、一所に落ち着くことを知らない拍子と調性と、どこを取っても型破りである。ニ短調4/4拍子アレグロ・アッサイ、変ホ長調6/4拍子ヴィヴァーチェ、などという調和と統制の取れた音楽ではないのだ。ましてやヴィヴァルディの四季にある「春」の情景を思い浮かべてはならない。とんでも無く荒くれた狂気の世界が拡がっているのだ。一時流行ったプログレ・ロックのELPやイエス、フォーカスなどが思い出される前衛的な構築美(?)だ。
手許にはブーレーズの一世代前のハルサイがある。1969年の録音というからアナログ全盛期、しかもブーレーズもまだまだ若い。これが二度目、そして今回取り上げたDGが三回目の録音ということになる。この二回目の録音のオケは今回のDGと同じクリーヴランド管。現在はソニーから復刻リマスターが格安で出ている(先週日曜の午前中にNHK-FMでこの盤が掛かっていた・・)。うーん、今の方が落ち着いていると見るべきか更に透徹された解釈となっていると評価するべきか、とにかく「燻し銀」度はこのDGの方が遥かに上だ。ソニー盤の方が色彩感は豊かで明るいが、このDG盤はどうしようもない絶望の淵に立たされた暗黒というかくすんだ色合いが上手く表現されている。
(録音評)
1991年、クリーヴランドの定番マソニック・オーディトリアムでの収録。例に漏れず広大で浸透性の強い残響が特徴。DGの4D録音の走りと言って良い鮮明でディテールがしっかりした録音だ。炸裂するブラス、縦横に謳いまくるストリングス、重層的に織りなされる木管群、嵐吹きすさぶパーカッション隊、どれをとっても素晴らしいバランスであり、そしてマソニックの天然エコーがこの全てのエッセンスを巧妙にバインドしている。随所で鳴るグランカッサ、ティンパニが自然に天井へ消えゆくかどうかが再生系調整の要、伝送系の濁りやスピーカーの分割振動、不要輻射などは大敵だ。さぁ、頑張って鳴らそう!!
ハルサイは前半のペトルーシュカと同じ条件で録られたものと思われるが器楽配列、特にブラス隊が大きく異なっていてTpとTbが逆、テューバが左から聞こえる。ホルンは同じ。ここでも連打されるグランカッサの再生、それと木管とブラスのピーキーな炸裂音の再生が肝と思われる。オーディオ機器にとっては結構辛い場面が連続する。