Ophélie Gaillard: Exiles |
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Ophélie Gaillard: Exiles
1. Bloch: Schelomo, Hebraic Rhapsody for Cello and Orchestra
2. Korngold: Concerto in One Movement for Cello and Orchestra in C, Op.37
3. Korngold: Die tote Stadt, Op.12, Act II: Tanzlied des Pierrot
4. Prokofiev: Overture on Hebrew Themes,
for clarinet, string quartet & piano, Op.34
Bloch: From Jewish Life
5. Ⅰ.Prayer
6. Ⅱ.Supplication
7. Ⅲ.Jewish Song
8. Bloch-annon.: Wedding Dance(trad.)
9. Alberstein: Sarah Sings a Lullaby to Little Isaac
10. Yeshayahu: Freilechs, Sim Shalom, Azoy Tantzmen in Odessa
Ophélie Gaillard
Orchestre Philharmonique de Monte-Carlo,James Judd(1-3)
Sirba octet members(4-10)
Phillipe Berrod(Cl)[4,5-7,10]
Richard Scmoucler & Laurent Manaud-Pallas(Vn)[4]
Claudine Legras(Va)[4]
Léa Birnbaum(Vc)[8,9]
Bernard Cazauran(Cb)[4,5-7,8,9,10]
Maria Belooussova(Pf)[4]
Lurie Morar(Cymb)[5-7,10]
オフェリー・ガイヤール:Exiles~亡命者たち
1. ブロッホ: ヘブライ狂詩曲 シェロモ
2. コルンゴルト: チェロ協奏曲 ハ長調 op.37
3. コルンゴルト: 死の都op.12よりピエロのひとり歌
4. プロコフィエフ: ヘブライの主題による序曲 op.34*
ブロッホ: ユダヤ人の生活から(全3曲)*
5. 祈り
6. 哀願
7. ユダヤの歌
8. ブロッホ: ウェディング・ダンス(伝統曲)*
9. ハヴァ・アルバースタイン**: 幼いイザークに歌うサラの子守歌*
10. Freilechs, Sim Shalom, Azoy Tantzmen in Odessa(伝承曲)
オフェリー・ガイヤール(チェロ)
モンテ・カルロフィルハーモニー管弦楽団[1-3]
ジェームズ・ジャッド(指揮)[1-3]
* ジルバ・オクテットのメンバー
** b.1947/ポーランドに生まれイスラエルに移住した女性シンガーソングライター
この演奏について
ガイヤールの盤は昨年のC.P.E.バッハ以来で、その後、スパニッシュ系を集めたアルヴォラーダ(AP.104)と題するアルバムをリリースしているが残念ながら未聴。今回はその発展的続編と思われる叙情豊かでかつ仄暗いアルバムだ。それは、人権尊重の民主主義国家としてのアメリカ合衆国成立後に、ユダヤ系であることを理由にナチスから逃れるように亡命ないし市民権を移した作家=ブロッホおよびコルンゴルトの作品を中心として組まれたものだからだ。なおプロコフィエフはユダヤ系ではないがロシア革命の難から逃れるため何度も逃亡生活を送っており、壮年までは似たような境遇といえなくはないし、ここに収録されたヘブライ(古代イスラエル=ユダヤ人の国)を描いた作品も残している。
こういった作家たちはその人生の歩みの過程で受けた虐待ないし苛烈な原体験が心に楔となって残留し、従って彼らが表現した音楽のどこかしこにもその痛みが滲んでいるのだ。ガイヤールは、こういった彼らの足跡をトレースすることを趣旨として、特に日常における心象風景などを中心に、遠い異国から故郷へと向けられた望郷の念を描いたとされる作品を選んだという。
なお、キングインターナショナルのWebページによれば、このCDに収録されたプログラムはAparteレーベルとしては初のアナログLPレコードでも併売するようだ。
ブロッホ:シェロモ
曲の成り立ちなどの詳細は割愛するが、とにかく深刻で暗く悲しい、漆黒の音楽だ。旋律進行は重たくて時に疾駆する。和声はまさにベタ塗りの黒といった気配で光が差す場面は殆どない。Wikiなどによると、「アレキサンダー・バルヤンスキーの妻で、彫刻家のカサリンが制作したソロモンの像に着想を得て1916年冬、ジュネーヴにて作曲され、同夫妻に献呈された」とのことだが、なぜそのソロモンの像がブロッホをしてここまでの暗黒を描かせるに至ったのかは少々謎。
このシェロモは少し前に取り上げたマルク・コペイのオーダイト盤の冒頭を飾っており、ちょうどいい機会なので聴き比べつつ鑑賞した。ひとことで言うと二人のアプローチはまるで違うし、フレーバーも異なる。コペイはこの曲に関しては一切の湿潤さを排除しドライ、かつソリッドに、そして直線的、例えるなら版画のドライポイントのように細い線を幾重にも束ねて旋律を表現している。一方この盤のオフェリーの表現はとにかくふくよかで幅が広く、そして旋律も和声も球面で捉えたかのような三次元的広がりを伴った解釈だ。どちらもシェロモの解釈としてはありなのだろうが、オフェリーのこの暖色系の歌わせ方は優しい風合いで好感できる。
コルンゴルトの2題
最初は単一楽章形式の珍しいVcコンチェルト。映画や舞台音楽も手掛けたコルンゴルトらしい、非和声と和声とがないまぜになった劇的で壮大な動機、第1主題となっている。ここから展開して第2主題へと向かうが、このパートは一瞬だが黎明期の当時のアメリカの自由で開放的な明るい気風が漲っている。中間部にはグロテスクな非和声を中心として組み立てられる割と長めのカデンツァが入る。ここまでのオフェリーの精神集中した旋律にとても惹きつけられ、また技巧的にも完璧。
カデンツァ後、暗い第1主題が短く再現し、すぐに穏和な第2主題も再現し、これが長く続いて後半の入り口まで変奏を繰り返す。ジルバ・オクテットの面々が繰り出す黄金のアンサンブルを背景としたオフェリーが駆るフランチェスコ・ゴフリラーの渋い咽び泣きは必聴もの。後半の2番目の短いカデンツァが終わるとデモーニッシュな第1主題が激烈に再現してきて、これが転調を繰り返しつつ非和声中心に変奏を幾重にも積み上げる。最後のカデンツァは技巧的で比較的長い。コーダは第2主題のリフレインで、意外にもあっけないトゥッティで曲は終わる。
なお、ジルバ・オクテットはクレズマー/イディッシュ/ジプシックを専門とする、文字通りの八重奏集団であり、土着の熱気とやるせないエモーションがなかなか風情があり、聴くものの耳を惹きつけ、そして訴えかけてくるのだ。
歌劇「死の都」op.12:ピエロのひとり歌だが、これは非常に美しく抒情的なロマン派伝統ともいえるようなインテルメッツォ(間奏曲)。この曲だけは全編和声で構成され、非和声成分は一切含まれない。バックのジルバ・オクテットの面々の弦楽および鄙びた木管は非常に甘美、当然にオフェリーのVcは切々と綺麗な旋律を歌い上げる。
プロコフィエフ以降
ヘブライに関しては、プロコフィエフの真骨頂と言ってよいデモーニッシュさと可憐さとが隣り合わせになった不可思議系の曲の典型例。この対比はとても印象的でどうしても脳裏に残像として焼き付いてしまう。どろっとした部分は割と荒れ気味で敢えて強い調子で弾き切っているオフェリーだが、和声系に振った緩徐、あるいはヴィヴィッドなパートにおいては微細な弦捌きに切り替えて精密な弾き方としている。
ブロッホのユダヤ人の生活からは、まさに彼ら移民、あるいは流浪の人々のつらい日常生活の中から、信仰にすがり瞑想的で、だがどこか諦念し頽廃した痛む心の襞を見事に描いているのだ。祈り~哀願~ユダヤの歌と、オフェリーのゴフリラーが憂愁に満ちた旋律を純朴に、そして静かに歌っていく。ウェディング・ダンスは一転し、明媚で素朴、そしてテンションが高い民俗かつ民族臭のする曲で、このあたりからオクテットもオフェリーもトランスするように高みへと昇って行く。
最後の二つに関しては、クレズマー、イディッシュ、あるいはジプシー音楽というべきか詳細に明るくないので正確なところは分からないが、とにかく民族的に特化した独特の倦怠したムードが漂う律動、そして混濁した和声、そして何よりエモーショナルで強い旋律が何とも言えない佳曲だ。オフェリーがやりたかったのはこんな土の匂いのする音楽だったのだろう。音楽的、また文化的に特異なリージョンを扱った、特異なフレーバーのするアルバムとしてとても聴き応えがした。
録音評
Aparte AP142、通常CD。録音は2015年7月、2016年6月、ベニューは冒頭1~4トラックがl'Auditorium Rainier Ⅲ,Monaco、残りがá Nortre Dame du Liban, Parisとある。ディレクター:Nicolas Bartholomee、ミキシング/マスタリング:Maximillien Ciup & Nicolas Bartholomee、後半の録音担当はIgnace Hauvilleとある。音質は私が今まで聴いてきたAparteの中では過去最高水準であり、極めて安定した音像定位、高度な音場再現性、色付けなく透過性の高い音色と、録音における重大三要素を全て高い水準でバランスさせており、これは本当に秀逸な仕上がりだ。この盤に限らず、このところ手にする欧州クラシック録音の優秀性は群を抜いており、外れが殆どない状況。今回も実に満足した。
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