Debussy & Szymanowski: Piano works@Rafal Blechacz |
http://www.hmv.co.jp/product/detail/4918544
Rafal Blechacz plays Debussy & Szymanowski
Debussy:
Pour le piano
Estampes (3) (Complete)
L'isle joyeuse
Szymanowski:
Prelude and Fugue in C sharp minor
Piano Sonata No.1 in C minor, Op.8
Rafal Blechacz (Pf)
ドビュッシー:
ピアノのために(1.前奏曲、2.サラバンド、3.トッカータ)
版画(1.パゴダ、2.グラナダの夕べ、3.雨の庭)
喜びの島
シマノフスキ:
前奏曲とフーガ 嬰ハ短調
ピアノ・ソナタ第1番ハ短調 Op.8
ラファウ・ブレハッチ(ピアノ)
5年に1度のショパン・コンクールは将来をピアノで身を立てようという若者にとっては登竜門中の登竜門であり、これが獲れるかどうかでその人の将来が決まってしまうといっても過言ではないと言われる。だが、相当の歴史がある大会だけにウィナーの数はそこそこ多いのだ。このコンクールで優勝したからといってほぼ全てのピアニストが世間的に認められて成功しているかというと、実はその確率はそれほど高くはないのが実情だ。
そんななか、DGは伝統的にショパン・コンクールのウィナーを自らのレーベルでデビューさせるという商業政策をとってきているようで、例えばブレハッチの前のユンディー・リは記憶に残る若き成功者だし、ツィマーマンやアルゲリッチだってそうだ。アルゲリッチの前はあのポリーニだったし、こうやって思い返すとDGの黄色いロゴをあしらったあのジャケットにはショパン・コンクールのウィナーの姿はしっくりと溶け込んでいるのである。
それでは前述とは逆説的な話をする。ショパン・コンクールでウィナーになれなかった若手ピアニストは大概が成功していないのか、ということであるが、実はそうではなく、というか、それどころではなく、ウィナーを逃した後で成功したピアニストの方が数はとても多いのである。例えば世界的なヴィルトゥオーゾで言えばアシュケナージがそうだ。ダン・タイ・ソンの年には名手タチアナ・シェバノワがいたしユンディー・リの年にはイングリット・フリッターがいた。日本人だって上位入賞を果たしていて成功している人は数多く、例えばアシュケナージが2位に甘んじたあの年には故・田中希代子がいた。アルゲリッチの年には中村紘子、ブーニンの年には小山実稚恵がいた。もっと言えば内田光子だってそうだし、若手~中堅では高橋多佳子や横山幸雄だっているのだ。
もっともっと言うならショパン・コンクールに出場さえしていないピアニストが成功している事例は圧倒的に多いのである。これはなにかのギミックのようであるが実際にはそうではない。ショパン国際の場合にはウィナーは5年に一人しか生まれないが(勿論優勝無しの年もある)、それ以外に楽壇に無冠でデビューしてくる人は数多いて、それぞれが互いに鎬を削って琢磨してスターダムに上がったりもするし、或いは大スターの名を得ないまでもマーケットに個性を焼き付けてしっかりとした立ち位置を掴み取り、末永く個性的に活躍するピアニストが多いということなのだ。
別の局面から言うと、ショパン・コンクールのようなピアノ専門や、他の器楽部門を揃える総合的なコンペティションは衆目を集める傾向にあるということ。チャイコフスキー・コンクール、ヴァン・クライバーン、ロン・ティボー、リーズ国際、エリザベート王妃国際などなど、日本人に限らず、人はとかく権威志向であり何らかのオーソリティに対して意味は希薄ながら絶大な信頼感を寄せるものである。コンペティションの主催者側も自らの大会の存在意義と権威を高めようとプロモートに努める結果、過度なコマーシャリズムを喧伝する元凶となっている一面は否めないものと思料する。
一度権威を得た若者が、それを是とせず不断の努力で更なる高みを目指し、結果として実力と名声が加速度的に付いてくる嬉しいケースもあれば、その既得の権威に胡座することで結局は才能をもてあまし、成功を勝ち得ぬまま終わってしまうという残念なケースもある。日本においては小学校から高校までの長きに渡る、いわば基礎学力のコンペティションたる受験戦争に勝ち抜き、旧帝大の雄と賞賛される大学を卒業して入省しキャリア・プロパーの地位を若くして得たがために持てる能力の大半を発露せずして終わってしまう勿体ないケースも散見されるが、実はこれと似た現象が楽壇のコンペティションにおいてもあてはまっている気がするのである。
前置きが長くなった。で、ブレハッチはどうなのかということだが、恐らく、ピアノを弾く才能という点においては普通にそこそこ備わっていると思われる。それ以上のなにかがあるか? と問われると、現時点では未知数が多いという判断を私は下さざるを得ない。要は「普通」なのだ。普通にピアノが巧いのだけれども、じゃあ、なにか特筆する面があるかというと、強いてあげるならシマノフスキの解釈が上手である。反面、ドビュッシーに関しては自分なりのドビュッシー像とはちょっと乖離している。肩の力が強すぎて、聴いていると疲弊するドビュッシーだ。もっともっと柔和に、しかしある時には突拍子もなく緊張もし、そして全体としてはヴィヴィッドで起伏に富んだ楽しくも鬱な音たち、そして明滅する色彩感がこの作家の神髄であって、ブレハッチの解釈はあまりに一本気過ぎて楽しむところまで行かないのだ。
版画の第三曲は雨の庭と呼ばれているが、これはドビュッシーの連作「映像」シリーズの番外編である忘れられた映像 (Images oubliées)の「もう森へは行かない 」の改作版であり、このアルバムの中では個人的には最も注目した曲だった。しかるに、これに関しては、自分の頭の中にあるこの作品の姿とはあまりに違う解釈・演奏ゆえ面食らってしまった。点と線と面が複雑に作用し合って、そこに様々な光と影、色、音、空気、香りが綯い交ぜにされた独特の三次元空間を生み出すはずなのだが、ブレハッチの弾くピアノはモノクロームで低コントラスト、そして鉛筆による一筆書きで景色を省略技法で切り取ったかのような単調なものであった。勿論、人それぞれの好みというのがあるからこれはこれで潔い雨の庭なのかも知れない。尚、喜びの島は至って普通で、特段の明媚さは感じられず、淡々とした進行だ。
しかし、やはりモネやピサロは色鮮やかな原画でそのタッチ(筆致)の妙を楽しむに限るのであって、それを現代風あるいは都市文明的に省略して抽象化しては決して面白くはないのと同様、もうちょっと鷹揚でドビュッシー的なふくよかなピアノが聴きたかった。
シマノフスキのプレリュードとフーガは不思議な曲で、色彩感は弱い癖に陰翳が濃くて、特に暗い部分の描き込みが秀逸。彼の出自であるソ連系ポーランドの形質だと言われると、きっとそうかも知れないけれど、そこまでの知識とその道を深耕した経験がないのでなんとも言えない。感覚的な話だがフランス楽派の傍流=ショーソンの鄙びてくすんだ色合いと通じるものがあって、確かにショーソンは1800年代中盤~終盤、シマノフスキは1800年代後半~1900年代初頭に掛けて生きた人だ。その激動の時代の特殊な息吹と明暗感を両者とも音で表現していたと言うことなのかも知れない。最後に入っているソナタ1番だが、これは言うまでもなくスクリャービンが基底にあって、そこに様々な蜜と毒を巧妙に混ぜて創作された一大壁画と言える大作だ。そしてやはり褪色したような陰翳が特徴となる特別な和声が背景に常に響いているのである。この和声にはグラズノフの仄暗さを連想させるものであり、この同時代の響きというか、抗いきれないシンクロニシティというのは実際には存在したのかも知れない、と思わされてしまう。シマノフスキに対するブレハッチの深い洞察と自信に満ちた曲想表出、演奏設計は素晴らしい。特にソナタ1番の3楽章メヌエットは、限りなく透明で甘い蜜を仕込んだ名曲なのだが(TV-CMにも時折使用される)、ブレハッチの繊細でか弱い美麗なセンスが特段に光っていると言える。
(録音評)
DG 4779548、通常CD。録音は2011年1月、ハンブルクのFriedrich Ebert Hallとある。トーンマイスターは珍しくRainer Maillardが務めている。音質はちょっと前のDGの華美で華奢なパターンで、スタインウェイがかなり痩せて聞こえるもの。録音品質は悪くはなく元々の音質自体はピュアなものと思われるのであるが、リバーブが人工的でちょっと気になるところ。欧州高音質マイナーレーベルが殆ど全てのCDを天然アンビエント環境で収録しているなか、やはり自然で綺麗なエコーというのはDGあたりではなかなか得難いのだと痛感させられる。ただ、昨今流行のメモリー音楽プレーヤー向けビッグダイヤフラム・イヤホンの様な低域ブースト環境では程良く中和されて心地良く響くように調音しているのかも知れない。
1日1回、ここをポチっとクリック ! お願いします。
♪ よい音楽を聴きましょう ♫