J.S.Bach: Sonatas & Partitas BWV1004-6@Isabelle Faust |
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J.S.バッハ:無伴奏ソナタ&パルティータ集
・パルティータ第2番ニ短調 BWV1004
・ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
・パルティータ第3番ホ長調 BWV1006
イザベル・ファウスト(Vn)
以前にも疑問を呈したと思うが、人が音楽演奏を聴いて上手い下手を感じる、また音楽的に感動するとはどのようなメカニズムから来るものなのか・・?
この三人の無伴奏を聴いていると、スタイルはそれぞれ違えども譜面は皆同じ、製造された時代背景が異なるものの楽器もほぼ同じ(勿論、ガット弦かスチール弦かという違いはある)ということで、それでもこれらに三者三様の明確に異なるインプレッションを抱いてしまうのは演奏上の何らかの要素を総合的に感じてそれぞれに優劣、または好き嫌いの判断を付けていると言うことである。
美術大学に通う学生を3人捕まえて、花瓶、皿、花、果物などの静物を見せ、これを同じ画角から鉛筆デッサンさせたらどういうことになるのであろうか。恐らく、どの学生もそれぞれに写実的に上手なデッサンを描くことであろう。しかし、では全く同じ絵柄が出来上がるかというと決してそうではなく、ある学生のデッサンは陰影が濃くて線も太く堂々たるもの、ある学生のデッサンはペン画の様な細密な線で構成された全体に明るくシャープなもの、ある学生のデッサンは曲線が柔らかくて全体にも茫洋とした霞が掛かった様な淡い濃淡が付けられた優しいもの・・、という風にそれぞれに全く印象の異なる出来映えになると思う。
こういったことと同列で比喩できるかどうかは分からないが、この三者のVn奏者が描き出すバッハの無伴奏はそれぞれに特徴があって、でもそれぞれがそれぞれの立ち位置と世界を持っていてそれぞれが不可侵の魅力を持っていることに気付かされる。
さりとて、一般的な論評という範疇で客観的に語れることもあるので、少しだけ述べておこうと思う。まず、楽器であるがハチャトリアンは1702年製 Lord Newlands ストラディヴァリウス+金属弦、ムローヴァは1750年製 J.B.ガダニーニ+ガット弦、そしてファウストは1704年製 Sleeping Beauty ストラディヴァリウス+ガット弦である。次にヴィブラートの使い方であるが、ハチャトリアンの場合にはモダン演奏を規範とした周期の極短い、そして振幅の浅いヴィブラート(=縮緬ヴィブラート)を基調としている。ムローヴァはほぼノン・ヴィブラートを通しているがサビの部分では極々自然かつ柔軟なヴィブラートを掛けている。ファウストはヴィブラートを完全に排除しており弦の振動に対する周波数変位は皆無と言って良い位のストレートな持続音を特徴としている。
金属弦のハチャトリアンが硬くきつい音、そしてガット弦のムローヴァやファウストがふくよかで柔らかく優しい音なのかというと、これは決してそうは断言できず、部分的にはハチャトリアンが柔和な音、あるところはムローヴァが厳しい音ということがあり得る。従って一概に楽器や弦の特性によって全体印象が定まるとは言い切れないのだ。またヴィブラートにしてもバッハの時代にはそういった振幅装飾を付ける習慣も技巧もなかったとの文献研究に基づいて殊更にこれを排除した方が潔いのか、と問われればこれも答えは否であろう。要は奏者が作品に対してどのような印象を持っていてどのような解釈と表現をしたいかという意思がほぼ全ての鍵を握るのであって、その他のテクニカルな要素はこの水準のソリストになると余り関係がないと言えようか。
前置きが長くなったが、このファウストの無伴奏はこれまた凄い出来映えの演奏であり、ある意味、ムローヴァの金字塔を脅かす潜在能力を持った近年の録音としては最右翼だ。ムローヴァの湿潤な太い骨格に対してファウストのドライで厳格、そしてソリッドな風合いは独特であり好みの別れるところかも知れない。しかし表現の幅と奥行きという点に関してはどちらも互角であって譲り合うところがない。
もう一つの不思議な特徴を挙げるとすると、それはファウストの驚異的な弦・弓のコントロール能力だ。それは、なんの前触れもなくこのCDを聴くと、ここにはいわゆる弦楽器の音が一つも入っていないのである。意味が良く分からないかも知れないのでもうちょっと詳述するならば、ファウストがガット弦を張ったスリーピング・ビューティで紡ぐ音はおよそ普通のヴァイオリンの音とは言えず、ある時はハーモニカ、アコーディオン、バンドネオン、ソプラノ・サックス、オルガンのリード管の様に、つまり木管リード楽器の音がする。そしてある時にはフレンチホルンやピッコロ・トランペットの様な高音金管楽器の様なふくよかで明るい伸びやかな音もする。一方、太いG線に関してはチェロと音域が同じに聞こえたり、ファゴットの持続音に聞こえたりと、変幻自在な聞こえ方をするのだ。特に、精密極まりないダブルストップでハモる時の音の多彩さとノンヴィブラートの真っ直ぐな持続音は超絶的な美しさであり、これはオシロで測定するならば綺麗な正弦波を描いていることであろうし、周波数カウンタで測ったとするならば微動だにしない安定度を見せるに違いない。
どのトラックも非常に素晴らしいが、やはりパルティータ2番が圧巻の出来だ。これはもう溜息の連続であり、最後まで身じろぎもせずに聴かなければならないほどの緊張感と集中力、極めて正確なパッセージのトレースと、どこを捉えてもムローヴァの2番に比肩する、いやひょっとすると凌駕する出来映えなのだ。しかし、あまりに完璧、そしてストイック過ぎるこの演奏は厳しく非の打ち所がないぶん、この後にはモダン演奏であるハチャトリアンやふくよかで野太く適度な遊びと情感が入っているムローヴァの演奏も聴きたくなってしまうのである。
いやいや、ファウスト、恐るべし。
(録音評)
Harmonia Mundi、HMC902059、通常CD。録音は2009年9月1-4日、場所はお馴染み、ベルリンのテルデック・スタジオだ。音質だが、テルデックの美点を十二分に捉えた美しいもので、ホール録音にも負けない豊かな残響も含まれる。そしてガット弦を纏ったSleeping Beautyの美点を遺漏なく捉えている。演奏はストイックで完璧だが、録音もまた完璧である。中央に屹立するファウストの姿がはっきりと見えればあなたの再生装置のコンディションはほぼ完璧と言える。
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