J.S.Bach: 6 Partitas@Ashkenazy |
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ヨハン・セバスティアン・バッハ:
CD1
・パルティータ第1番変ロ長調 BWV825
・パルティータ第2番ハ短調 BWV826
・パルティータ第3番イ短調 BWV827
CD2
・パルティータ第4番ニ長調 BWV828
・パルティータ第5番ト長調 BWV829
・パルティータ第6番ホ短調 BWV830
ヴラディーミル・アシュケナージ(ピアノ)
例によってライフワーク的に取り組んで来ているピアノによるバッハのクラヴィーア曲に分類されるアルバムである。しかし、その中にあっても取り分け6つのパルティータに関しては個人的な思い入れが強くてちょっとした拘りがある。
ちょっと前だとペライアのパルティータは温度感が低くてラショナルな演奏だったし、シフ盤は溌剌とした解釈でなかなかの演奏だった。しかし、やはりパルティータといえば未完のこれを忘れることは出来ない。
アシュケナージはピアニストとしては録音は続けて行くそうなのだが、このパルティータを録音し終えた、ということは一区切りを付けたのだと個人的には思っている。成る程、ターニング・ポイントを意味するほど素晴らしい出来映えのパルティータなのだ。
余り言葉を弄しても真意は伝わりづらいと思うので簡潔に書く。とにかく無為自然にして外連味が一切無い解釈、そして完璧な技巧にして精緻で稠密な演奏である。
アシュケナージはアゴーギクよりはデュナーミクを尊ぶ傾向のピアニストの一人であり、そういった点においてはこのパルティータの原曲はチェンバロ用ということでアゴーギクによる情感表出、強弱表現だけが許容されるもので、現代においては恐らく彼だけが保持するであろう呪術的なテクニック(驚くほど流麗かつ円滑なデュナーミク)は必ずしも力を発揮しない。そのアシュケナージがどうやってパルティータを弾くのかは興味があった。結果だが、それは呆気ないほどのシンプル解法で100点満点を叩きだしていたのだ。
ペダリングは極めて少なく、使ったとしても極僅かな踏み込みだけで、ダンパーを全解放することは決してない。そして、注目の操鍵だが、基本は全編マルカートであり、レガート表現する部分は極々限られている。そして強弱方向のデュナーミクであるが、これはほぼ封印という感じで、少なくともロマン派時代作品に使われるデュナーミクは影を潜めている。では時間軸方向のアゴーギク(テンポ・ルバート)はどうかというと、これまた殆ど封印していて、周期の長いテンポ出し入れはあるもののチェンバロ演奏やオルガンで使われる様な急峻なルバートは皆無である。他の多くの録音にみられる様な演奏者固有のアーティキュレーションというものがおよそ感じられない透過性の高い孤高の解釈と言える。
特に6番を聴きながら、20世紀後半における最高峰ピアニストとしてのアシュケナージの締めくくりはこう来たか・・、という感慨に耽るのであった。
(録音評)
DECCA、4782163、通常CD2枚組。録音時期:2009年2月16~18日、8月14~16日、12月11日~12日、録音場所:サフォーク(ロンドン郊外)、ポットン・ホールとある。音質はこれまた透過性の高い、しかも中庸を行く温度感の大人の調音だ。ピアノの定位はしっかりとしつつも細部を抉る様な輪郭強調はなく、そしてホールトーンは豊かで空間感はどこまでもトランスペアレントである。
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>透過性の高い孤高の解釈
正にその通り!
ピアノの存在と空間へ溶け込む音の諧調が物凄く滑らかでゆたかです。
私的には ハイビット で 聴き直してみたいものです。
素晴らしい CD の紹介、ありがとうございます。
いらっしゃいませ! そうですか、買われましたか・・。バッハの場合は楽譜に自由度が少なくてシンプルなぶん、演奏は随分と難しくて、しかも奏者の癖や弱点が現れやすいんですね。アシュケナージのこれは、重厚かつ鮮烈かと思いきや、実はシンプル&クリアな解釈でした。
またおいで下さいませww