富山の風景 - 3 |
使われなくなった川筋の跡(=廃川地という)を埋め立てるために(勿論、目的はそれだけではなかったが)富山港から街中まで運河が掘られた。その残土を廃川地に運んで埋め立てて現在の富山市街地が造成されたというわけだ。
知られてはいないが富山は運河の街でもある。陸上交通が主力となり海運による産業資材運搬は廃れ、それに伴って運河も使われなくなりヘドロが溜まって荒廃し、一旦は埋め立ての危機にも瀕したが富山県は保存の道を選んだ。
工場地帯だった運河一帯は整備されて環水公園となり、現在では市民の憩いの場となっている。これもWikiに掲載されている。
写真は公園と隣接するとやま自遊館と市の体育館で、広大な貯木場跡を一体として再開発したもの。
ここが運河の南側の終点である船溜まりを改修工事した環水公園の中心施設であり、観覧のためのタワーと橋を新設したもの。
この写真は牛島閘門というウォーター・ロックで、ここから「いたち川」(神通川の古い川筋を残した小河川)へ船で連絡できるようになっている。この設備は運河開削当初のものを機能するように復元している。となりの写真は牛島閘門を背に運河を北側の富山港方面へ望んだ写真。
港から約3キロ上流には中島閘門というウォーター・ロックが設置されている。今では国の重要文化財に指定されている貴重な施設だ。この写真は上流側から見た中島閘門で、ちょうどダム湖の様に水を湛えている。
こちらは下流側から見た中島閘門の閘室で、この箱状の施設に船を停め、水を出し入れして水位を調節することにより上流側と下流側とで往来を可能としている。となりの写真は閘門から下流の港方向を望んだものでウォーター・ロックの上とは水位が2.5メートル低い。
上流には小さな河川がいくつか流れ込んでいるため、運河と言えどもわずかに水流がある。閘門の左側には中州を挟んでその余剰の水を海側に放流する水門と放水路があって右の写真がそれだ。写真にはないが中州にはウォーター・ロックの開閉を行う操作盤を設置した制御室(というか掘っ立て小屋)があるが現在は保存工事中で周囲には足場が組まれていた。
ここのページには中島閘門に関する更に詳しい解説および写真が載っている。
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