Shostakovich: Sym#1, #15@Gergiev/Mariinsky O. |
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Shostakovich:
Symphony No. 1 in F minor, Op. 10
Symphony No. 15 in A major, Op. 141
Mariinsky Orchestra, Valery Gergiev
意表を突くクールで精緻なゲルのリードは呆気にとられるほどスムーズで大人のサウンドである。LSOとのマーラー・チクルスとは同一指揮者とはとても思われない細密な描き込みで、彼のいつもの特徴である、いわゆる爆速が影を潜めている。それでも1番の終楽章はちょっと速いが、それは疾駆感とも言うべきアーティキュレーションであって決して拙速ではない。こういうコンテキストで1番を聴かされると、なるほど、こういった解釈もあったかという感慨が沸いてくる。
15番は1番より更に透徹されていて克明、そして冷静な描き込みは恐怖すら感じるほどだ。どの楽章もこのクールな曲想で終始する。ショスタコが最後のこの作品に込めた一種の揶揄、即ちスターリニズムから受けてきたプレッシャーを裏側から抉り出すようなぞっとするデュナーミクが随所で炸裂する。例えば1楽章は諧謔なコラージュ形式の様相を呈してはいるが、それは表向きの顔であって裏には恐怖政治へのパロディと自身が雌伏してきた長い時代の悲しい描写だとザンデルリンクが述懐している。この最終交響曲の最終楽章の終わりはザンデルリンクの解釈にもあるようにシロフォンの拍動が停止して終わる。
ゲルとしては新機軸の解釈で、これにマリインスキーは実にしなやかでダイナミックな演奏で応えている。このオケは音色が美しく、そして微視的表現に長けているのだ。LSOを振るゲルの荒削りな音に対して、同じLSOでもコリン・デイヴィスが振る時の音はまるで違い、その差はやはり指揮者の持つ個性および相性がなせる技と言わざるを得ない。同様にマリインスキーがゲルの手兵と言われている通り、個性と相性がうまくマッチしていると言うことだろうか。
(録音評)
Mariinskyレーベル、MAR0502、SACDハイブリッド。DSD録音で、場所はMarinsky Concert Hall, St Petersburg, 24-25/7/2008とある。プロデューサーはジェームス・マリンソンということでLSOライブなどを手掛ける著名人だ。音質傾向は似たところがあるが、こちらの方がホール音響がまろび出る傾向が強く甘美で美しい音色である。周波数レンジは特に下方向に恐ろしく伸びており、コンバスやグランカッサの鳴動が極めてリアルに録られている。これらのレンジ感や楽器の風圧に関してはSACDレイヤーがCDレイヤーを上回るクォリティだ。
録音レベルは相当控えめで、音量セッティングによってはピアニッシモ部分の聴き取りは極めて困難。ダイナミックレンジは非常に広く通常の装置で最弱~最強までをバランス良く鑑賞することは難しい。巧い録音だが聴き手を選ぶであろう。
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この1番は音楽院時代最後の習作とされていて、確かにグラズノフ教授からいろいろと指南を受けたようですが、どうも私が聴く限りではあんまり連関がない気がします。ショスタコの方は更に調性が崩れ、ジャズっぽいところもあって色彩感も強烈ですね。対するグラズノフの音楽は前衛的ではあるけれどもうちょっと統制が効いています。そして、旋律にはどことなくセピア系の影があって、和声もアンニュイですね。
私が最初にこの曲を聞いたときには「わ!まるでグラズノフやん!」と思い、その似ている加減が面白かったのですが、その次聴いた時には、全然似てない、と思い、自分のどっちの感覚があっているのか、ほかの方にも聞いてみたかったのです。
似ているかどうかは別として、私はふたりとも好きな作曲家です。